『愛あればこそ』お母さん、ごめん。やっと気づいたよー。 | 天津甘栗

天津甘栗

自分のふとした気付きや、誰かが気づかさせてくれたこと、ただの日常のつぶやきなど、きの向くままに綴っていきます。

絶対やらない!と決めていたはずなのに


気づいたらやってしまっていた、昨日の私。




それがこちら。真夜中のラブレター✏️。


いやぁ。ラブレターを、公開するって、かなり恥ずかしい…(*´ェ`*)



最近、自分を差し出す、ひらくを意識して過ごしていると

何を隠して、何を出すか、みたいなのがよくわからなくなっています。混乱しています。

いや、まだ隠そうとしてるんですか!?って感じなんですけどね。

そのあたり、まだ悪あがきしてる感じですね。かわいい私。





昨日のラブレターで思いの丈を吐き出したら、



なんと、芋づる式にいろいろ出てきてしまいましたー。げぇー。





私ね、昨日書いた、大学の先生との出来事があってから

“私の大好きな人、大事な人は、いつか突然いなくなる” って思いこんできました。


そう、思い込んでいたから、

大好きな人がいなくなるまえに、私の方から離れようとしたり

大好きにならないように、距離をとったり

大好きじゃない、大事じゃないふりをしたり…


思い当たるフシがありすぎます。



大好きな誰かがいなくなることで私が傷つくことがないように、

すごーく人との距離をとっていたんだなぁと思います。



それでね、

その大学の先生との出来事以前にも、

同じようなことを感じたことはあったかなー??って思い返してみたら



出てきましたよ。しっかりありました。



それは、直接私に起こった出来事ではなくて、

お母さんに起こった出来事を、小さい頃の私がそばて見ていて感じたことでした。




私が保育園に通っていた頃、

この前会った時には元気だった、おばあちゃん、お母さんのお母さんが、亡くなりました。

何が起こったのかはよくわからなかったけれど、

お母さんにつれられて、お葬式や火葬に参列しました。


私にとって初めての身内の死でした。


お葬式や火葬のときに、お母さんや周りの大人の人たちが泣いているのをとてもさめた目で見ていたのを覚えています。

大人になってもこんなに泣くことがあるんだ。と、戸惑う気持ちもありました。

そして、それからしばらく、落ち込み続けていたお母さんを間近で見ていて、

お母さんがいなくなるってこんなに悲しいことなんだなぁと

私は、私のお母さんと一緒に感じていたような気がします。


そして、

私のお母さんも、いつかいなくなるときがくるんだ。と、そのときに思ってしまったのかもしれません。


いつだかわからないいつか、

私もお母さんみたいに、

お母さんを失うときがきて、

とっても悲しい思いをするんだろうなと。



お母さんが大好きな人を突然失って、悲しんで傷ついて落ち込んだみたいに

私も大好きな人を突然失って、悲しんで傷ついて落ち込んでしまうんだろうなと。




そう思って生きていたところ、

大学でその先生に出会いました。

初めて私の家族とか育ちの背景とかいろんなことは関係なく

ひとりの私として向き合ってくれた人で、

私を委ねてついていこうと思えた人でした。


大好きな人、大事な人と思って、一緒に楽しんでいたら、


突然、

その大好きで大事な先生とのお別れがきてしまいました。



そのお別れは、たまたまやってきてしまったことだったのかもしれないけれど、

そのときの私は、

お母さんのお母さんが亡くなったときに感じた

“大好きな人、大事な人は突然いなくなる”を確信してしまったのだと思います。

ほらね、やっぱり。って。


それから、ますますかたくなに人との距離を保つようになったように思います。





それから、

昨日のワークの中で、その先生との出来事を話していて

そんなつもりはなかったのに、声がつまって、涙が溢れてきました。


私の中では、先生とのお別れは、終わったことになっていて

もう泣くようなことではないはずでした。



たけど、よく考えてみたら、

私、その先生とのお別れのことを、これまで、誰にも話したことがありませんでした。



なんで、誰にも話さなかったのか。


そこにも、ちゃんと理由が、私の思い込んでいたことがありました。




私のお母さんのお母さんが亡くなったあと、

私は、保育園の先生に「お母さんのお母さんが死んだんだよ」と話しました。

そして、先生は、お母さんを気遣って、何か言葉をかけてくれたんだと思います。

すると、お母さんはその日の帰りに、

「なんでおばあちゃんのことを話したの!話さないで!」と私に怒りました。


それで、私は、(そうなんだ、それは話しちゃいけないことなんだ)と思いました。


悲しいこと、傷つくこと、落ち込むことがあっても、それは誰にもいっちゃいけないことなんだと思いました。

私がそれを言うことで、お母さんを傷つけてしまうんだと。



だから、先生とちゃんとお別れできずにいることも、誰にも言わないで、私のなかにあるのにみないようにしてしまっていたんだなぁと気づきました。



昨日、そのことを思いがけず話してみて、

本当は、誰かに話したかったんだなぁ、聞いてほしかったんだなぁと

やっと気づくことができました。






そしたらね、

いくつか、私のお母さんが私に話してくれた言葉を思い出しました。


いつかの私の誕生日に
「今のしのぶの歳のとき、母親をなくしました。~」と、言われたこと


いつかのお母さんの誕生日に「母親が亡くなった歳を越えました。~」と言われたこと

そして、熊本地震のとき「今お母さんたちが死んでしまったら、しのぶがひとりになってしまうから、まだ死ねないと思ったよ。」と言われたこと


その言葉を言われたときは、全然受け取れなくて、なんとこたえたらいいのかわからなかったけれど、

今思うと、お母さんは、その時その時で、私に話してくれようとしていたんだなと思います。

私が、言ってはいけないことだと思い込んで、お母さんに言わせないように聞こうとしなかっただけで、

お母さんは、伝えようとしてくれていたんですね。

本当は、話してもよくて、お母さんも話したいと思っていたということなんですね。



あぁ、お母さん、気づけなくてごめん。

やっと、気づけたよ。




年末年始に、ゆっくり聞いてみようと思います。
そして、私の話も聞いてもらおうと思います。




いつだって、それは、愛の物語

愛、それは甘く
愛、それは強く
愛、それは尊く
愛、それは気高く
愛、愛、愛
ああ愛あればこそ生きる喜び
ああ愛あればこそ 世界は一つ 愛故に人は美し