なんだか分からないまま言葉にしてはいけないと思っていたもの。 | 天津甘栗

天津甘栗

自分のふとした気付きや、誰かが気づかさせてくれたこと、ただの日常のつぶやきなど、きの向くままに綴っていきます。

あの11月あたりの振り返りを、まだ熱いうちにやっておきたいのだけど、
うまく言葉に出来そうになくて躊躇してしまっています。





言葉の力は信じているけれど

そこに込められたものを見極めること

真意はどこにあるのかを見落とさないこと

言葉では表せないものを見ようとすること。

そんな言葉に対する敏感さを大切にしたいと思えば思うほど、

言葉がどんどん重くなって出せなくなってしまうのです。



だけど、やっぱり言葉にしてみたい。
勇気を出して、はらはらと落ちそうな言の葉を集めてみようと思います。



11月に向き合ってきたもの

これまでにも何度か記事で触れていますが

私の中にずーっとあった、言葉にしてはいけないと思っていたもの。


命と向き合うことの怖さ
生かされていることへの恐怖

生きるために死ぬものがるということ
死ぬために生きるということ






春頃に、私はこのブログのなかで子どもの頃に好きだったものをたどりこんなことを綴っていました。

『どうぶつ奇想天外!』とか、動物の番組が好きだったな。
可愛いペットの話題よりも、サバンナで狩りをするライオンとかチーターとかのドキュメントが好み。

もう何日も餌にありつけないで痩せ細った肉食動物が餌にありつけるまで、固唾を飲んで見つめてた。

どんなに痩せ細った肉食動物がいても、人間が餌を与えてはいけないというのが自然界の掟なんだとナレーションで説明されるのが耳に残っている。
自然界の掟…。

こんなシーンをただ真剣に見守る。
で、餌にありつけた姿をみて、ライオンは生きてるんだなぁって感じてた。
いつもそのシーンを見たかったんだと思う。

動物図鑑でも、
ライオンが獲物を食べている写真ばかり見てた。
あんまり人前ではやっちゃいけない気がしてたから、一人でいるときにこっそりと。

肉食動物が獲物食べているシーンをみて、生と死、命のことを感じようとしていたんだと思う。

人間が動物を育てて食べることも同じ自然の掟の内なのかなぁとか。
答えはでないんだけど、そんなことをよく考えてたな。

自分の家が畜産農家だから食べるつもりで生き物を育てる現実を見てたり、
祖父が猟友会の人で、家に帰ったら大きな猪がぶら下がってたり、
遠くで鉄砲の音が聞こえたり、獣を追いかけてる姿を見たり、
鶏や七面鳥を家でさばいて食べることもよくあったりして、
命ある姿から人間が食べられる肉へと変わる一部始終を目の当たりにしてて
いただく命には小さい頃から敏感だったと思う。

人間も自然の一部なんだと、
ちゃんとみておきなさいと、
いつも大自然の畏怖を感じていた気がする。

その経験は、都会に出てきてからみんながみんな触れている事ではないんだと知った。
解剖実験とか、無理なら無理って言う権利があることも。

『豚がいた教室』について、議論したときに、
私が小さいときに感じようとしていたことは、
世の中では普通ではなかったんだと気づいて、
どう表現したらいいか分からなくて、
なかなか素直に言葉にできなかったんだけど、

私は間違いなく、命について感心があって、
子どもの私なりに向き合ってたんだと今は思う。

生き物の命をいただいて生活することには喜びも苦しみもあるけど、
私はその全部と向き合おうとしてたんだなと思う。
それは、今もこれからも変わらず、ずっとそうかもしれない。

まあ、これはただ好きだったと言うよりも、
必然的に感心を持つことになったものだと思ってたから、
表現しだすと今でも不思議な気持ちになるのだけど、
同じ環境で育った兄弟が同じことを感じていたかというと
そうでもない気がするから、
これもやっぱり、私がこういうこと感じたくて見ていたということなんだろうな。




このことを好きなものの中に書いているあたり、私の中でまだまだ混乱してたんだなぁと振り返っています。


そして、なんだか分からないまま言葉にしてはいけないと必死に耐えてきたあの頃の私とようやく出会えました。


今思えば、

私はあの頃、命の現場を目の当たりにして

自分と目の前の生き物との境目が分からず、命の変化に怯え、自分の命をも殺がれる思いで、とても傷ついていたのだと思います。


その感覚は、動物に対して最も強く反応していましたが、

自然豊かな環境の中であらゆるものへ共感し、動物も植物もその他のものも境目無く反応することも多かったです。


私に命があるということが
私が生きているということが

怖くて苦しい。



言葉にしてはいけないと思っていたそんな感覚に押しつぶされそうになったとき

小さい頃から私はいつも、ひとりで大自然の中に飛び込み、1つになろうとしていました。
森や山や川や夜空の中で、ちっぽけな私を包み込む大きなものを感じて、あぁ大丈夫なんだなぁと安心していました。


健気に、恐怖と安心とのバランスを必死に保とうとしていたのでしょうね。

そして、大自然は、恐怖も安心もどちらも私に与えてくれていたということにも気づきました。


命と向き合い傷つき、恐怖に怯えながらも
自然に抱かれ安心を得て、生きる希望を見いだしていました。


そしていま、
まだまだ生きることへの怖さはありますが
生きたくないのではないと思えています。
怖いけど生きていたい、のです。

この感覚の私で生きていたいのです。




10月から11月にかけて、
その生と死について向き合う機会を得て、それに対する感覚を初めて自覚して、言葉にすることが出来ました。

それを伝えて受け止めてもらえたと分かったとき
私は震えをおさえられませんでした。

私の奥の何かが反応したのだと思います。


こんなことを誰かと共有出来る日がくるなんて、想像もしていませんでした。


だけど、受け止めてもらえるんだと分かってから、少しずつ、話したい聞いてほしいと思う相手に、自分の言葉で伝えてみることができるようになりました。

そうしたら、いろんな人がそれぞれの言葉で受け止めて、反応してくれて、興味深いたくさんのことを得ることができています。

こんなふうに関われる人が、私の周りにたくさんいてくれることが分かって、私は本当に幸せだなぁと感じています。







生と死についての感覚を自覚してから

怖いも安心も与えられていると気づいてから


相反するものが存在する意味について、自分なりに考え尽くしたくなり、

どんなことを手がかりに紐解いていけるだろうかとあれこれ思案しているとき

ふと目にとまるものが、絶妙なメッセージで驚くことが続いています。




まずは、こちら。

まさに。と言う感覚。
思考するだけではなく、体験してしまえば、もうそこにあると体感しているのです。ただ受け入れるだけ、ということですね。




そして、相反するものをみつめる感覚を善と悪とに絡めてみようと思い至ったときに受け取ったものはこちら。









ねぇ。もう言葉が出ませんでした。

私たちの中にも外にも、相反するものは存在しているのです。

私たちはその相反するものの中に存在しているのです。





終わりのないこんなことを考えることが、私は楽しいんだなぁということに気づけたのも嬉しい発見です。