赤版も配信延期の末、無事配信開始致しました。2作揃ったところで楽曲説明を始めようかと。歌詞自体はオフィシャルに掲載していますので歌詞を見ながら聴くも完ノンの楽しみ方の醍醐味の一つ。では青版から。

 

「青版」

natsu-no-omoide / DRUNK DAYS

各200円(税込)

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「natsu-no-omoide」

この曲は制作開始から約一年寝かせていました。というか一年かけて淘汰し、モノにした曲です。タイミングとしては昨年のアザラシコンピ2に収録したDRUNK DAYSと平行して作っていたんですね。オケができたところで収録曲をDRUNK DAYSに決定してから「この曲は納得できるところまでとことんこだわろう」と一年の時を掛けて作りあげたものです。

 

10周年を迎えるにあたり、昨年頃から創作にあたり活動開始から現在まで振り返りのモードに入っておりました。完全にノンフィクションとして最初に書いた曲「援交少女」を書いた時の思想や世の中の見え方やモードを呼び起こして、原点回帰するような曲に敢えて向き合おうと思いました。そのモードを再現しようとしてもこの10年で得た経験や癖が出て来るだろうし、もはや新しいものが生まれると信じて作曲に取り掛かりました。

 

町、少女、夏、傍観者からの目線、救い。自分から自然発生する楽曲風景の神髄はこうなんだなと。無化調、無濾過と言いますか、不純物なし。まさに完全にノンフィクション。作家としての自分を再確認する上で今まででもあるし、これからでもあるし、前10年と先10年を繋ぎ止める大事な曲です。

 

暗闇の毎日でも救いはあるんです。未来がある限り。未来は救いなんです。10代の時なんにもないのにどこか明るくなれたのは未来に託していたからかもしれない。はたまた30代を迎えて、たとえ20代を振り返ると辛い事も多かったとしてもその時の未来にあたる今、こうして無事命が奪われる事なんぞなく健在できている。使い勝手のいい「未来」。そして使い勝手が許されるのが「未来」。そう考えると未来は現在の自分の救いでもあるし、未来に過去の自分が救われるということは、未来の自分も大丈夫ということだな。そんな見え方がします。

 

夏の感じ方。雲の近さ遠さで感じる。それを思っていても口にしない人、いると思います。それを知らなかったとしても「そう言えばそうだ」と気付いてくれる人、いると思います。両方「共感」です。俺は俺の見え方に共感して欲しい。そんな自己顕示欲が突き動かしていたのだと。

 

衝動の再確認。再確認できたという事は、完全にノンフィクションの創作起源は現在も「衝動」が突き動かしているということです。そんな一曲。

 

別所英和