12月。慌しい中にも素敵な新しい出会いがいくつかありました。そしてどの出会いも不思議にシンクロしています。
運命の出会いなのか、単にIt's a small worldで結局自分の世界から抜け出せていないのか?? そんな出会いの中から得た今月の学び: 人才 

外国企業のエリートの高額報酬について議論をする機会があり、欧米の企業は個人の才能に対して給与を払い高額報酬が可能だけれど、日本の企業風土では個人の才能に対して対価を払うことを会社もしな いし、周囲もそれを認めないという話になりました。日本ではどんなにデキる部長でもスタッフの何倍もの待遇を受けていたら、部長一人の業績ではないのだから、下がついてこなくなって結局はうまくいかなくなるというのです。

社員を人材=働く材料=Human Resourceとみなす場合、材は同等のものと交換可能だし、安いほど良いことになります。、最近は人財=働く財産=Human Assetと考えることも多くなりました。財は効率よく安定的に運用されることが求められます。優秀なチームは会社の財産だ...などと言いますね。交換 可能な"人材"と異なり、かけがえがないということでもあります。

IT企業を上場させたオーナー社長や、外資系企業の管理職といった同世代と比較しても突出して成功している男性たちの集まりだったのですが、皆さん「どん な優秀な人でも一人で成功はできない」「優秀なチームだからこそ出来た」という考えが根強くあり、自分だけ突出した報酬をもらうべきではない、チームで分 かち合ってこそさらに良いチーム(=財産)が築けるという考えでした。

そのときに参加していた中国人の方が、中国語では人材のことを人才というと教えてくれました。人材募集は人才募集で、才とは仕事に役に立つ才 能=Talentを持っていることを意味するそうです。ある仕事を成功させるために必要な特殊な才能というのは、企業の戦略にとって不可欠で代替できずそ れ故高価=pricelessな報酬もアリだというのです。そして日本人は才能にどうお金を払ったらよいかの尺度を持ち合わせていないと指摘されました。

青色発光ダイオードの中村氏に限らず日本人が個人の才能にお金を払わないというのは今日に始まったことではありません。昨日会った米国のとある専門家の女 性も、ちょっと知り合った人に日本に一時帰国しているときに食事をしながらちょっと話を聞かせてと言われて会いに行ったらその会社の人が20人近くノート を持って集まっていて質問攻めにあったと驚いていました。その人はもう米国に20年もいて日本のことに疎くなっているのですが、大学教授のお父様から日本 は悪気なく人をタダ使いしようとするから気をつけなさいと注意されたけれどその通りだったと笑っていました。

この報酬の議論をしているときに私が驚いたのはその場にいたのほとんどが"才能を買う"という考え方に懐疑的だったことです。突出した報酬は一人の成 果ではない==>そこまでの能力ないのにもらいすぎ==>周囲のやる気が萎えると言うのです。 (男性というだけで"そこまでの能力ないのにもらいすぎ"な人たちに囲まれつつ仕事をしている女性の立場からすると、ここで平等な分配を強く主張する男性 陣が随分と滑稽でしたw)彼らは実際に成功を山分けした親分だったので日本人社会で成功できたのかもしれません。

でも世界中の企業が優秀な"人才"獲得に凌ぎを削っているときに、今後も「わが社の給与体系は人材・人財しか想定していませんので、あなたのその特殊な才 能に見合う給与は出せません。そもそもあたなの才能にいくら支払うのが適当か見当もつかないのです」なんて言えるのでしょうか。既に才能は海外の特定の地 域に集中していますし、日本からも流出していますし、日本に集まってくる流れがあるとは言いがたい状態です。

そしてそのことよりももっと深刻な問題だと思ったのは、豪邸に住む上司がいたら中国人はその人の才能を盗んでそれ以上になってやると言っているのに、日本 人はみな不当な評価にシラケてやる気がなくなると言っていたことです。 この嫉妬深さ(?)は私にはかなりの驚きでした。足を引っ張られるのはたまりませんからね。そうならないような処世術や価値観がそのまま子育てや教育にも 反映されていくのだろうなぁ。人才志向と、人財志向。日本のローカル・ルールならそれもいいのだけれどグローバル・プレーヤーとしてはどうだろう?

人材・人財・人才。あ、人災っていうのもありますね。
たとえば日本の首相や、JAL の社長にブラックジャックのような救世主が現われたらどれぐらいの報酬が妥当でしょうか。その報酬で引き受けてもらえると思 いますか。痛みを伴う改革に議員や官僚や社員たちは協力するでしょうか、ともかく抵抗するでしょうか。反対勢力を見方につけることを含めて才能だとした ら、そういう才能って論理的に存在可能?
人才への適切な評価についてしばし考えてみたいと思っております。