はいさい☺️
観耀(かんよう)で御座います🙏😌
今回は、自分に付いて下さってる大神様【チヂガミ】が分かって次は、チヂウヤ様見つけ更に研鑽を積む為に色んな御嶽へ拝み歩いている時期の話。
お見苦しところもあるかもしれませんが、御理解の程宜しくお願い致します🙇
2019年某月某日
拝み歩き自分に付いて下さってる【チヂガミ】へ関連する御嶽にて拝みを行っている時に声をかけられました。
神『お前は、何故そんなに一柱の神に縋るのか。何故一柱に拘るのか。』
私『私自身に付いて下さっているからこそ一心に祈っている敬神しているのですが💦』
神『お前達人間に付いてる神は、一柱のみと思っているのか?』
私『1人に一柱じゃないのでしょうか💦』
神『違う。神だけでもないだろう。その者の役目により一柱ではないこともある。ましては、チヂウヤも含め仏もつくそれなのに何故一柱のみに拘るのか?その神一柱のみに拘っていたとしてもその上に行けぬぞ?意味がわかるか?』
神『チヂウヤもチヂガミもそうだが、お前自身が拝み歩いていけば、必ずお前の経験は積み重なる。その積み重なる事は、お前の成長の証である。そうなれば、いずれチヂウヤもチヂガミも必ずといって新たなチヂウヤ、チヂガミへとお前を繋ぐのだ。
だが、お前が、この神だけ!このチヂウヤが私に付いているんだ!と拘り執着しているとその存在が、次の存在へ繋いだ時お前達人間は、【見捨てられた】と感じ道迷うか、ずっと縋り執着しその上に行けない者が余りにも多い。』
私『チヂガミ、チヂウヤ様達は、変わるのですか。知らなかったです。それは、それで少し寂しい感じも致しますが。』
神『それは、紛れもなく執着、依存だ。己自身に枷を付けている事と何ら変わりはない。お前自身が、己の次元に限界を設け、何より。お前の視野を狭めていると言う事に気付きなさい。1人の人間には、多くの神仏先祖や他の存在達が付いて支えているのだ。』
私『そんなに沢山の方が付いてるのですか?』
神『無論だ。だからこそあらゆる拝みを行うことが出来るのだぞ?
だからこそ、一柱の神やチヂウヤへ執着せずに拘らずにその時その時に学びを与える存在達へ目を向けなさい。
また、新たなチヂガミやチヂウヤへ変わったからといって関わりが無くなる訳では無い。』
私『そうでしたか。それであれば、もっと別け隔てなく沢山の神仏先祖や先人達から学びを得られるように進んでまいります。』
神『そう。その様に動きなさい。しかと学んで行きなさい。』
私『お教え下さり有難う御座います🙏
心より感謝申し上げます🙇』
如何でしたでしょうか。
この事は、【人間社会】に対しても言えると思います。
友人関係、男女関係、家族等など。
次回は、人間社会に対し例えたお話を致しましょうかね😌
少しでもお役に立てれば幸いで御座います。
皆々様へとって日々が良き佳き日で有ること心よりお祈り申し上げまする🙏😌
神人 観耀