観耀(かんよう)で御座います
ここ最近ずっと、浮かんできて頭から離れない【うてぃんうやがなし】本土の神様の名前でお呼びすると【天之御中主神】様で御座います。
私が、年に1回沖縄の七宮八社で、神恩感謝の御祈祷で沖宮へ詣りその帰り道にいつも挨拶をしている【うてぃんうやがなし】へいつものように挨拶をした際にお話して下さった内容で御座います
※うてぃんうやがなしの言葉の所は、【天】とお書き致します。
人は、木のようなものなのだ。
二礼二拍手一礼
私『日々日々、お見守りお導き心より感謝申し上げます』
天『よく来たね。来ない間にも色々あったか。』
私『はい、望み望まぬ事となれど。御座いました。』
天『そうか。そうか。それでも、また、神へ祈る道へ立ち戻ってくれた事嬉しく思う。また、来てくれて有難う。』
私『有難きお言葉。心より感謝を申し上げまする。』
天『うむ。人間とは、何だと思う。』
私『人間ですか。。。人間は、常々我欲に抗うことなく我欲にて心を満たそうとする者でしょうか。』
天『人間は、木の様なものなのだ。』
私『木、ですか。』
天『そう。木である。人間という木を大きくするための水は、人生。栄養は、経験なのである。』
天『その水も栄養も数多く浴びて灌がれた木は、深く深く根を張り巨木となろう。幹も太く。枝葉を広げ沢山の繋がりを築くだろう。』
私『はい。』
天『根は、お前の土台だ。揺るがぬ土台。枝葉は、人々の繋がり。要は、縁の現れだ。だから、関わる人間との縁が、切り替わる時は、枝葉が落ち。新しい枝葉が芽吹くのだ。』
私『なるほど。』
天『そして、その中でも、経験という栄養を数多く受けた木は、実をつける。この実は、何だと思う?』
私『後世へ繋ぐ命でしょうか。』
天『うん。それも良い勘だ。では、その繋いだ命にお前なら何を渡す?』
私『あ、知恵に経験で御座います。』
天『そう、その実は、知恵であり経験であるのだ。』
天『だが、その実は、放っておけば期を逃し地面に落ちて腐るだろう。これが、人のプライド。意地である。後には、誰も近づく事を拒む見えない壁となるだろう。』
天『だからこそ、その実を他の者へ渡していくのだ。自分が、培った【知恵】や【経験】を自分の中だけにしまって置かずに周りの者達に分け与えていくのだ。』
天『お前が、一刻一刻得た知恵に経験は、なくならぬ。
恐れる事なく人々にその実を渡していくのだ。』
私『渡すことが、繋ぐこと。』
天『そうだ。だからこそ、ここまで来るまでにお前も色々あっただろう。氣付きに経験。仲間との集いに散り散り。命とは、何なのか。己の心と魂と向き合った末に得た答え。数え切れないものがあるだろう。そして、これからもまた、沢山の氣付き知恵を得、経験を得る。
そして、また、お前には、実が生るのだ。』
私『そして、渡していく。』
天『そう。渡し紡いでいくのだ。築いていくのだ。』
私『有難う御座います。深き深き氣付きを心より感謝申し上げまする。』
天『お前の経験は、無駄にはならぬ。しかと、前を見て進みなさい。』
私『有難き事で御座います。氣付きを下さり本当に有難う御座います』
とお話し下さいました。
人間は、木である。
その人間という木になる実は、知恵であり。経験。
それを人々に渡していく。
それが、命を繋ぐことにもなる。
大変大きな氣付き心より感謝で御座います。
如何でしたでしょうか。
少しでもお役に立てれば幸いで御座います。
皆々様へとって日々が良き佳き日で有ること心よりお祈り申し上げまする
神人 観耀