観耀(かんよう)で御座います
皆様のお陰様で、忙しい日々を過ごしておりました。
すると、気がついたら【旧暦七夕】過ぎて【旧盆】へ突入しておりました
【旧暦七夕】前にお話したかったです
いや
気分を切り替えて【旧暦七夕】のお話をして参ります
以前の沖縄の【旧暦七夕】の記事を貼っておきますね
簡単にざっくりと沖縄の【旧盆】を説明しておりますので、もし1日1日と詳しく知りたいよと仰る方がいらっしゃるのであれば、コメントなりSNSでのDMなりでリクエストください。
記事に致しますので
はい。
ということで、【旧暦七夕】の本当の意味をお話したいと思います。
この話は、師匠から教えて頂いた中でも私自身の経験や疑問をもとに納得して腑に落ちたお話であります。
先ず結論から言いますと【旧暦七夕は、生と死(あの世との世)が、つながる交わる日】で、あるということ。
師匠から初めて聞いた時は、『えっ本当かよ』と思ったのが、率直な感想でした。
その言葉を聞いて色々と符合するんです。
天の川は織姫と彦星は
何で、天の川で、出会うの
何で年に1日だけなの
天の川は、三途の川の象徴意であり、意味合い。
織姫と彦星は、あの世とこの世の境をこえて逢うことがかなう。
年に1日なのは、あの世とこの世の均衡を保つために唯一許された日であるから。
これが、師匠の話を聞いて私自身の経験を照らし合わせて納得した答えでした。
しかも、この日は、生命(命)が生まれる力が物凄く強いということでした。
ちょっと卑猥かもしれませんが、不妊で悩んでらっしゃるご夫婦様は、この日に行為に及ぶと授かる確率が爆発的に上がるということもわかりました。
特に【旧暦七夕】の夜からの夜明けが、1番生命(命)を生み出す力が強くなるのでその日を目指すのも宜しいかと思います。
本当にこの話を【旧暦七夕】前にお話したかったです
是非とも、来年の【旧暦七夕】で、活用して下さい
また、この事を納得する出来事が、師匠の話を聞く3年ほど前にありました。
それは、【天河大辯財天】様との対話をさせて頂いた時の事。
※写真は、Wikipediaから引用させていただきました
祈り仲間で、神友である方から、『ここに呼ばれて行ってきたんだけど、どう見る?』との報告と意見を聞かれました。
その写真を視てみると。
大銀河の如く遥か彼方までひろがり光り輝く【天の川】でした。
意識体で、入っているので、自由に天の川の辺りを歩いておりますとベン〜ベン〜ベンベン〜と天の川の辺りで、琵琶を奏でるなんともお美しいお方がいらっしゃいました。
私『はじめまして、私は、観耀と申します。貴女様は…』とお伺いをしようと思った矢先。
私(この方が、辯財天様だ普通の辯財天とは、次元が全く違く高いお方だ)
そう思ったのも束の間。
その方は、すっと顔をゆっくりお上げになり。
辯財天様『ここへ人が、来るとはなんとも珍しい…。どうですか。この天の川は。』
私『なんとも美しく心の奥底から清らかに成るようです。有難う御座います。』
辯財天様『(ベンベン〜。)ふふっ。そうですか。気に入って頂けたようで喜ばしい。私は、この天の川の辺りで琵琶を奏でるのが好きでして。なんとも心より安らかに成れるのです。さぁ、これより長き月日を跨ぎ恋い焦がれ出会う男女が訪れますよ。』
その様に辯財天様が、お話になると天の川の向こう岸にお美しい女性の方が、胸の前で手を握り私の居る側の岸辺を見つめておりました。
するとその見つめる先に白いモヤがかかりその空間が水面が揺れるように動き出しましそのモヤの中から平安時代の少し裕福そうな格好をした男性の方が姿を表しました。
すると。
辯財天様『この者たちは、年に一度境界を越えて出逢い。お互いの愛を育むのです。いつの時代もそして、これからも。』
この時直感で、(ああ、この二人は死別したのか。)と思いました。
気が付いたら辯財天様と私は、天の川の中間でこの二人を見ていました。
そして、なんとも仲睦まじいお二人なのか。そう思った時でした。
辯財天様『さぁ、そろそろお帰りなさい。ここに居すぎると帰ることが億劫になってしまいましすよ。』
と笑顔で、背中をお優しく押してくださいました。
私『天の川へおわします大辯財天様。今宵は、良き御縁を経験を有難う御座います。また、機会あれば宜しくお願い致します』
辯財天様『こちらこそ有難う御座います。私は、いつもここでこの川を見ております。また、いつでも来れるでしょ貴方なら。でも、次は、私が、時折降りる社へお出でなさい。』
私『わかりました。有難う御座います』
と御礼を伝え意識を現世へ戻し目を開きました。
あまりにも美しい光景でしたので、暫く余韻に浸っておりました。
そんな体験が、師匠とのお話と符合して納得の波でした。
【旧暦七夕】は、決して願いを込める訳ではなく生死という境界を越えてまでも愛する人と結ばれたい。
そんなピュアな感情を相手へ伝える事の出来る素晴らしい日なのだなと思いました。
この内容を知り、どのように扱うかは、皆様次第で御座いますが、神が嫌がることへ使うと激しいお咎めが降り掛かることを理解して下さい。
それ程に強力な事であるということです
さて、少し長くなってしまいましたね。
ブログを最後までお読み頂き有難う御座います
皆様へ観音様のお光が人生という道を照らして下さる事。
皆様の心身安泰・心願成就を心よりお祈り申し上げます
では、また、次回のブログでお会い致しましょう