二回目の誕生日 | 脳梗塞と民話語り

脳梗塞と民話語り

よう来なすったなあ~、ゆっくりしてきなっせ~





月・火曜日はブログ定休日だよ、

実は昨日は私が72年前に生まれた日

   つまり誕生日だったのですね、ブログが定休日と言う事で今朝書かせていただきました

 

太平洋戦争が終結した

  次の年に生まれた、ちゃきちゃきの戦後っ子なんですがね

 

私が小学生の時

   母親が良く話をしてました事を思い出しますね

 

それは、

  食べるものも限りのある時代でしたので、親はおっぱいがあまり出なかったそうです

 

そこで私が飲まされたのは

   「米の研ぎ汁」だそうですが、そこに砂糖を混ぜて飲ませていたが

 

当時、なんでも統制が引かれていて

   砂糖も配給で、研ぎ汁に砂糖を混ぜると飲んで、混ぜないと泣いて飲まないんだそうです

 

そりゃそうですよねえ

   研ぎ汁なんてまずいものですものね

 

そう言う苦労話を良く聞かされたものですが

   子供とか孫にそう言う話をすると「何回も同じ話をしなくても・・・・・・」と言われてしまいますよね

 

そんな親を見送って4年が経ちます

   振り返って見ると、72年早いものだなあって感じられますね

 

脳梗塞になったのは

  22年前の2月、仕事も乗っていた時に倒れて・・・・・・絶望感

 

そこから立ち上がり

   やっと、ハイハイが出来るようになり

 

母ちゃんと車で旅行したり

   民話を遊び道具にして、公演をしたり教えに行ったりして遊べています

 

それでも体の麻痺は

   改善はしておらず、右手は全く動きませんね、右足もまた杖を突き引きずりながらの人生です

 

でもね、麻痺はあっても、愚痴は言わず、

   しっかり前を見て、常に心に笑みを浮かべて健常者と遊んでいます

 

この先何年生きられるか分かりませんが

   100歳まで生きられると思い・・・・これからもチャレンジ人生を進んでいきたいと

 

せっかく生まれてきたこの体

 

   楽しんで、楽しんでから・・・・・人生に終止符を打ちたいと思います