感動 | 脳梗塞と民話語り

脳梗塞と民話語り

よう来なすったなあ~、ゆっくりしてきなっせ~





月・火曜日はブログ定休日だよ、

昨日NHKの再放送番組「7サミット 極限への挑戦」番組を見た
  ごく普通の若者が高校を出て都会にあこがれて北海道から東京に出てきたが

名前を栗城史多さん27歳
フリーター・ニート生活をしていたが自分の思っていた理想と現実とのギャップ
  一年ほどで郷里の北海道に戻って大学に入学して山岳クラブに入部したんだってさ

22歳から世界七大陸の最高峰に始まった
  27歳の去年最後のチャレンジエベレストに果敢に挑戦したがリタイヤ

なんと五年間でその偉業を成し遂げたが
  凄さはそれだけじゃないんですね、自分が登っているのをインターネットで実況中継

それが出来ないときは動画で配信しているとは実に驚きます
  身体だって162センチで60キロと今の青年にしては小柄な方であるが

やっていることはでっかいですね~
  座右の銘は「逃げてはいないか」だそうです

己の使命は、「人に感動してもらう冒険を行い、一歩踏み出す勇気を与える」

人に感動して貰うのは良いが
  植村さん見たいにならないで欲しいな~と思いますね


一歩踏み出す勇気を与えると云うのは私も思います
  形とかスケールは違うかも知れませんが、私が民話などでステージに立って語る

あるいは講演活動に於いても
  それを見聞きした人達がそう言う気持ちを持ってくれればと思うときがある

おそらく病気になって天井ばかり見ている生活だったとしたら
  あるいは何をやるにしても人任せだったとしたら、たぶん今の俺はなかったと思う

やはり彼が言うように一歩が踏み出せたから今の自分があるのである
  とかく中途障害者だと今まで何でも出来ていたのに・・と云う思いもあって

この身体では出来ないんだと決めつけてしまうんですね
  元来人間は強いものなのです、盲目のピアニストがちょっと前話題になりましたね

目の全く見えない人が何であの鍵盤叩けんのかな~って思いますが
  訓練とは恐ろしいもので指が何処にあるか分かってしまうんでしょうね

PCのキーボードで考えてみてください
  慣れている人はキーボード見なくても叩くようになりますよね

その原理とある意味では似てると思いますよ
  ですから身障者でも健常者でも挑戦するって事は大事なことなんですよね

何もやらなければ

  何も始まらない

    なにも始まらなければ

      幸せは掴めないんではないだろうかね~~