平等という観念について書いてなかったことを思い出しました




前に書いた↓


このときに

同時に気づいたんですが



平等とか、損得、善悪、美醜、etc



すべての2元的観念が

錯覚だった!

と思ったのです



だからといって、

ゴミが散らばっていたら美醜の醜を感じますよ


そこらへんは

自分錯覚してるなぁと思いながら

地球体験してるわと思いながら

地球体験している自分を俯瞰している感じがします



あの一件で

美でも醜でも、光だとわかってしまった感じでしょうか




平等、不平等、理不尽、

この辺の観念の出来事も

エゴは反応するところかもしれませんが、



他人との比較

損得

そういう観念があって

「平等」という解決策ができたっぽいですよね



全部ひっくるめて

良くも悪くも

その気持ちの体験をして

私地球で遊んでるー



エゴが錯覚してネガティブになっていても

私の本質は楽しんでいた



私も他人も

どんなものを体験していても

光っていたのだ



これまで、どれだけ偏った見方をしてきたのか

他人や、自分を認めなかったか

狭い見方をしてきたことを思い知りました




やっと

「アルケミスト」という本の内容がわかりました

最初から幸せはあった

探しに行かなくてもよかった




こういうことでしょ^ ^




探しに行ってスピに出会いました

だけど、スピにより気づかされました

最初から幸せだったと

そっか〜




とか書きながらまた錯覚に気づかされるのでしょうか

シフトには終わりはなさそうです