平成の社会と刑事法理論の変化~刑法学者『前田雅英』警察学論集60巻11号 | 福岡の弁護士|菅藤浩三のブログ

福岡の弁護士|菅藤浩三のブログ

福岡若手弁護士のブログ「ろぼっと軽ジK」は私です。交通事故・企業法務・借金問題などに取り組んでいます。実名のフェイスブックもあるのでコメントはそちらにお寄せ下さい。

 知り合いがSNSに非常におもしろい一部抜粋記事を載せていたので、全文を読んでみた。SNSに紹介してくれた知り合いにおもしろい記事を掲載してくれてありがとうと謝辞をこの場で伝えたい。
 特別捜査幹部研修所での2007年記念講義なのだが、ざっくばらんな本音にまみれて実に面白い。この紹介記事を読んで気になった人はぜひ手に入れて読んでほしい。私の目についた、前田雅英教授の本音部分を意訳して抜粋しておきます。

・昭和終わりころは凶悪犯の認知件数も右肩下がりで日本は世界一治安のよい国だと言われていた。ところがバブル崩壊から不況が始まるとそれが右肩上がりになっていた。さらに昭和終わりころまでは日本の凶悪犯検挙率は9割を誇っていたのに2001年になると6割にまで急減する。9割と6割というのはものすごい急落である。
・犯罪というのは社会の病気であり、社会の傾向をもっとも敏感に反映する不具合事象である。だから、むかしから社会学というのは犯罪学を例に発展してきた。犯罪の変化というのは社会の変化ともいえ、社会学の中で犯罪学の占める割合は非常に大きい。
・いま少年院に入っている子供たちの特徴をせんじ詰めれば、家庭の貧困と崩壊・知能の低さ・親子関係の愛情の薄さ、さらにアスペルガーなどの病気とさまざまであるが、やはり経済的なものが犯罪にとって重要な因子であり、これを刑事政策に組み込まなければならない。
・ヨーロッパではどの国でも外国人問題で犯罪が悪化している、民族や宗教の問題に特化しているようにみえるが非常に根深い。おそらくアメリカが世界一の犯罪大国であろう。なぜならアメリカは本質的には構成員全員が外国人の国だから、アメリカの本国人というのはせんじ詰めればインディアンしかいない。ようするにアメリカは本質的に寄せ集めの国であり、そういう所で社会の共通の価値観とかさらに言語ですらバラバラならば、犯罪が多いのは当たり前。その意味で日本に外国人の単純労働者をどんどん入れるのは犯罪を減少させるという点では危険な行動と言わざるを得ない。
・日系ブラジル人や日系ペルー人を単純労働者として受け入れた結果、現象として特定の地域の治安が悪化していった。三重県(ホンダ+シャープアクオス)・広島県(マツダ)・愛知県(トヨタ)・岐阜県(三菱パジェロ)・群馬県(富士重工スバル)、、、そこには日系南米人が集中的に入っている。
 外国人犯罪を国籍別でみると中国人のトップは不動だが、2番手は韓国でもバングラディシュでもパキスタンでもフィリピンでもなく、いつのまにか2番手はブラジルとペルーが占めている。
・例えば少年でなぜ日系南米人の犯罪が増えたのか。2人に1人は日本の中学に行っていない、なぜなら日本語は難しいから。母国語ポルトガル語で育っても契約社員でいつ南米に戻されるかわからない、そんな状況で日本語を真面目に習得する意味がない。かたや昼間はごろごろしていて、街に出ればコンビニやスーパーに商品が大した警備も無く並んでいる、道路にお金が置いてある(自動販売機)カギも簡単に外せる、クルマの中に平気で物を置いている、全員が我慢できるはずがない。とはいえ日系南米人のためだけのポルトガル語の学校をつくる予算があるはずがない、そもそも賃金が安いから日系南米人を外国から連れてくるのだし景気調整が必要になったら仕事をとりあげる、こういう社会構造を改めないで単純労働者として受け入れることばかり強調する経済界もいかがなものか。

・これは危険な言い方ですが、あるデータをきっちり調べた所、両親が揃っている家庭に比べて、母子家庭の子供が少年院に入る確率は5・5倍(50%高いと言っても驚くべき差なのに)、父子家庭の子供だとさらに悲惨で11倍。
 少年係の人も異口同音に「あいつはどうしようもないワルだけど、もし俺が同じ境遇だったらグレルよな。あの親じゃあな」とつぶやく、やはり少年が被害者というのはその意味であたっている。
 親が教育できず、地域でもNPOのようなラストシェルターでも受け入れてもらえなかった子供の行く先は、あえていてば反社組織しか残っていない。

・結果無価値とか行為無価値と言うが、理論を徹底したらおかしな結論になることがある。例えば、前者ならば、殺そうとしてピストルを発射したけどそれてあたらなくてそこで行為が終わったとしたら、その行為は結果がないから無罪せいぜい殺されかけてびびったという脅迫相当の量刑になる。でもこれてオカシイの明らかですよね。他方、後者ならば、結果は重視しないのだから未遂も既遂も相応とも犯罪として等価になる、殺意さえあれば不能犯も処罰対象にしてよいことになる、でもこれもおかしいですよね。だから、ものごと両極端はダメなんです。
・矯めるべき社会の病理という丸太に対して、なたで粗削りするのが立法府・のみや彫刻刀で仕上げて仏像につくりあげるのが法律家。法理論とはその仕上げる作業の仕方に結び付く。
 

にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
にほんブログ村

福岡の交通事故に強い弁護士事務所|菅藤(かんとう)法律事務所 (jiko110.jp)