#688 【マニアな一基】東電PG大宮線No.20-22 ~中山道の老舗美化トリオ~ | 関東土木保安協会

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関東土木保安協会です。

埼玉県さいたま市。
国道17号沿いに、3基の美化鉄塔がいます。
東電PG大宮線。66kV2回線の一般的な送電線です。
今回はこれを見に現地に行ってきました。


上写真は一番南の大宮線No.20です。
写真中央奥に残り2基のモノポールが続いているのがわかるかと思います。
調べたら、鉄塔メーカーの巴コーポレーションが50年以上前に手掛けた鉄塔だとわかりました。
現代的な外観で歴史があるなんて、これまたギャップ萌えですね。
(塗装はボロボロですが。。)

▲大宮線No.20(1968/8,28m)

3基のうちただ1基のみオリジナルで残り、ただ1基のみ鋼管2本で組まれた耐張鉄塔になります。
どういうわけか、この鉄塔だけ通常鉄塔若番方にあるプレートが反対側についていました。

▲鋼管2本を結んだタイプだ

基礎のコンクリートは案外大きく、2本の鉄塔をしっかりと支えています。
塗装のヤレがとんでもないです。
うす緑色がシルバーになりつつあります。
碍子周りも発錆が目立ちます。
デッキは四角で、後から触れる2基とは違って目立つものではないです。

▲作業デッキは凝ったものではない

正面から見るとその凝った形状がよくわかります。
先端にかけ緩やかに細くなっていく腕金、架空地線の腕金が緩やかにカーブしているところなど、魅力に溢れています。
2本の鋼管を用いた美化鉄塔は架空地線支持のところでデザインの見せ所かな?と思ったりしますが、この鉄塔も2本の主柱から2本の細い鋼管がバランスよく繋がっており、かつ先端に向け広がったデザインで、アクセントになっています。

▲3基で唯一オリジナルの姿で残る

よく見ると、左側3本の腕金に沿うように細い鋼管が付けられています。
反対から見ると、もう3本の腕金も同様でした。
これも何か目的があるのかわかりませんが、あると見た目がよくなるように思います。
架空地線用の2本の鋼管の途中にあるリング状のものは、安全帯の取付用でしょうか。

▲GW支持の腕金がとてもお洒落なデザインだ

続いて隣のNo.21にきました。
この子とNo.22は同型で、モノポールで懸垂碍子の鉄塔でした。
でした、というのが、見ての通り耐張化をされてしまったからなのです。
文末のメーカーのサイトや、他の方々の10年以上前の記録を見ると、懸垂型であったことがわかります。

▲大宮線No.21(1968/8,29m)

ショッピングセンターの反対車線側の駐車場内に立つ鉄塔です。
配電線と合わせて収めると、美化鉄塔のスタイリッシュな外観がよくわかるかと思います。
配電線はここから地中線になっていましたが、この区間だけでなくここ以南の区間がまとまって地中化されているため、離隔措置ではないのかもしれません。

▲配電線と並ぶ大宮線No.21

昔の懸垂時代の姿は本当にシンプルな見た目で、より綺麗だと思います。
日本初のとまではいかないものの、東京電力管内では最初の美化鉄塔だったとの話もあり、完成当時は街道を行き交うドライバーや通行人にも驚かれたことでしょう。

▲当時としては斬新であったであろうシンプルな外観

足元は鉄塔1基分の占有で、簡単な柵に覆われています。
それにしてもお肌が荒れ荒れです。

▲No.21基礎

懸垂型2基の特筆箇所がこの作業台ではないでしょうか。
味気ない土木施設に、公園のフェンスのような意匠を織り混ぜた斬新な姿。
その形状も、円形を連続て組み合わせた大阪万博辺りを思わせる70年代テイストで、非常にレトロな美しさです。
今の美化鉄塔はこんな柵を付けないですし、ここも希少な黎明期の美化鉄塔ポイントかなと思います。

▲とても美しい、塔中央のデッキ

お次のNo.22も少しだけ背が高い、No.21の双子です。
企業の駐車場内にあり近付けませんでした。

▲大宮線No.22(1968/8,31m)

見えやすいので上部を正面から見てみます。
昔はもっと腕金の外側で支持されていたので、目と目が離れているといいますか、どちらかというと柔らかい表情だったようです。

▲No.21,22共に耐張碍子化されオリジナルではない

腕金1本1本に何やらパイプで補強がされているのがわかります。
これも後付けなんでしょう、不格好な取り付け方です。
碍子とジャンパー分が重量増加となったためか、耐震補強かはわかりませんが、後から補強されたもののようです。

▲昔はもっと美しい姿だったのだろう

プレートは梯子下部にあり、小さい方が塔の中心に、大きい方はステーで梯子の右横にあり、美化鉄塔らしい特殊な取り付けかたでした。

▲プレートの設置方法が特殊だ

この北に与野変電所というところがあり、この後ここも記録したのですが(後で掲載します)、だいぶ前から大宮線の引き下ろしでなく地中線からの引き込みになっているようです。
途中で線路を何本も跨ぐ箇所もあったりするため、都合で架空線が残っているだけかもしれないのかな?と思いつつ、中山道のバイパス沿いに並ぶ歴史の1ページが今後も拝めますように、と現地を後にするのでした。







<参考>
・株式会社巴コーポレーション : 巴コーポレーション100年の歩み 


・送電鉄塔見聞録 : 初の美化鉄塔