#85 【一塔両断】石崎無線中継所 ~津軽に残る無線通信の魂~ | 関東土木保安協会

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Kanto Civil Engineering Safety Inspection Association

~ 土木の迫力 機械の技術 礎となった名も無き戦士達の魂 ~
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青森県は津軽半島に、廃局になった無線中継所があります。
石崎無線中継所というところです。


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▲石崎の外観。展望台の様な斬新なデザインだ


石崎無線中継所は1978年に竣工しました。

当時、日本国内の長距離通信の主役を担っていたのはマイクロ波で、日本全国に多数の無線中継所が建設されました。

地方都市から、大都市まで、空中を突っ切って通信を行えるマイクロ波はバックアップ網を兼ねていたこともあり、重要な通信網でした。



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▲マイクロアンテナの架台部(北海道方向)


ここも例にもれず重要施設で、青森-当別の本土・北海道間の通信を中継する場所として、23年間も君臨し続けました。


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▲マイクロアンテナ架台部(青森方向)


デザインされた特殊な作りには訳があり、津軽国定公園内で環境調和を意識したこと、洋上通信の関係で、一定以上の地上高を求められたこと、既設電話局の敷地を増やすことができなかったことなどが挙げられ、結果、鉄筋コンクリート造、スリップフォーム工法によるスムージーな外観の美しい電波塔が完成することになります。



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▲古びたコンクリートの威厳が、旧社会主義国家の建物を意識させる


デザインは環境との調和を意識しているとはいえ斬新で、付帯施設なども30年以上前の国営施設の物とは思えないほど意匠に凝っています。

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▲今見ても古臭くない外観


逓信建築といわれるような旧逓信省に所属する郵便局・電話局の建築意匠は高い評価を得ている事で知られています。

旧電電公社が「たかが電波塔」にこれほどのデザインを求めていたことは、歴史に残るべきことだと感じます。



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▲内部は空洞の様な作りだ


この手の建物は構造上、アンテナ等の搬入は外からは行わず、内側から釣り上げて実施していたようです。

<追記 2014/4/3>
当時の記録動画を見ると、アンテナ類は塔側面のガイドレールに沿って外側から搬入していたようで、内部は螺旋階段が設置されているようです。



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▲先端部。8角形の架台が電電公社らしさを醸し出す


高度経済成長期の当時に、どこまで先端技術の進化を予測できたかはわかりませんが、竣工からわずか23年という歳月で、無線中継所としての人生に幕を閉じることとなります。


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▲2001年以来使用されていない引き込み柱跡


マイクロ波通信は、その高性能な通信能力で長距離通信のトップとして君臨してきたのですが、通信量の増大と共に脇役に転じます。

それが光ファイバーで、マイクロ波より多数の情報を安定して送れる光ファイバーは、約20年ほど前より急速に張り巡らせられました。


つくば科学万博では、東京-筑波間の光ファイバー通信のデモンストレーションを行ったようですが、この電波塔の竣工からわずか7年後です。
時代と技術は進み続けたのです。


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▲門扉には電電公社フォントが泣かせの道具として表示されたままだ


閉局後は静かにたたずんでいるマイクロ波の産物、石崎無線中継所でありますが、もしも、というときのためでなく、解体費用が出せないために放置されているのが現状でしょう。


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▲新無線塔完成記念の碑。当時の技術が気高く書いてある



なお、ここも仏向無線中継所と同じコンクリート電波塔シリーズの1つで、全国5本の指の一つです。
外観では一番優れているでしょう。



最終的にはなくなってしまうであろうこの電波塔も、無線網の衰退と共に日本全国から消え続けている無線中継所の一つなのです。



電波塔マニアはもっと注視すべきなのです。

電力会社、通信会社が自前で光ファイバー網を充実させてしまったがために、自ら建て続けた純粋な電波塔というものが衰退の一途をたどっている現実を。