長野は某温泉(TGRKYDとでも言っておこう)に
巨大廃墟があるというので行ってきました。
▲温泉街脇の斜面に、気高くそびえ立つ
信州の観光ホテルとしてはかなり大規模ですね。
・・・もう名前出してしまったようなものですね・・・(笑)
だってそうでしょう、ここは「信州」と名付けるくらいの規模が、
その当時あったのでしょうから。
▲近づくにつれ巨大さをさらに感じる
ぽっかりと窓ガラスがない壁面から黒い口を開けたその姿、
まさに廃墟そのものです。
廃墟は自然経年による劣化での損壊と、人為的な損壊の2要素によって崩壊します。
ここはどうでしょう。
恐らくはガラス類もあったのでしょうが、
心なき進入者によってなくなっている部分も多くあります。
(他の者に心があるとは言いませんが・・・)
自然要素によるの崩壊を見ると、むしろ悲しくなりますね。
ここも雪による急速な浸水などで、廃墟化10年強にして凄まじい風格です。
▲さらに拡大すると、部屋の内部まで見える
どうやって建物が劣化するかというと、
恐らくは屋上部のドレーンが排水つまりにより常時浸水状態になり、
漏水や鉄筋部の腐食が進行、内部の崩壊が進行していくとみられます。
ですから、建物維持管理の際はは屋上の排水確保と浸水防止加工をしますよね。
あれってとても大事なんだと思います。
こんなところは、秋に落ち葉で排水ルートがなくなり、
冬季は雪が溜まって溶けて、最悪な環境なのでしょう。
また、木造建築などは虫害と破損部からの浸水により
劣化が進むのでしょう。
ですが、こういうのを見ると鉄筋コンクリートは
改めて丈夫であると実感します。
▲ドリフもビックリの穴あき壁面だ
作りは欠陥っぽくないですよね。
寧ろしっかりできているのだと思います。
バブル期のリゾート地や、安いラブホテルは、
時々どうしたの、って作りの建物がありますが
ここは由緒正しき(実はそうでもないんですが)温泉地のホテルなので、
手抜きな印象は受けません。
▲とにかく馬鹿広い建物内部。これは迷う
ここはとにかく広いと何度も言っていますが、
メインホールからはエスカレーターで新館?に行くような構造だった様です。
一部フロアが隠されていたようですが、晩年は閉鎖エリアもあったのかもしれません。
建物左側が古めかしい最初期の部分で、4階から上部が後に増築した部分でしょう。
さっきのドリフの壁は、一番下の部屋です。
▲スマイル、って言われても笑えない
ベリベリにはがされた観光会社のマークを見ると
昔は大小様々な観光業者が特約契約していたのだと実感します。
今っていうとJTBかKNTくらいしかないでしょうか。
そういえばカレンダーが97年で止まっていました。
当時を紐解くと、長野オリンピックを翌年に控え、
県内交通網は高速鉄道・高速道路の完成と
盛り上がる一方でした。
この温泉街も、当時は特急停車駅を近隣に持ち、
駅まで送迎バスが多数出入りする状況が続いていたでしょう。
ところが、オリンピックが終わってからはどうでしょう。
98年2月、県民が夢を託したオリンピックの終了後は、
不景気や社会構造の変化による大規模な団体旅行の縮小が露呈し、
単なる巨大高級ホテルを無用の長物に陥れました。
さらに追い打ちをかけるのが高速道・新幹線で、
近隣にインターを持たないこの温泉街はアクセス的に不便になります。
目立った観光地もないのであれば、通過点になって当然ですね。
また、当初は今まで特急が止まっていたように、
山形・秋田新幹線方式のミニ新幹線が通る筈であった駅は、
フル規格の新幹線が別にできたために単なる地方私鉄の1駅になってしまいました。
以上、あくまで私の勝手な推測ですが、
カレンダーが止まっているのが97年なのは、
もう98年になる前にここが尽きてしまっていたのではないでしょうか。
▲ここだけでなく、温泉街自体がダメージを受けているのが痛いようにわかる
廃墟は理由があって廃墟になります。
理由がない廃墟はありません。
土木施設は、近代遺産に指定されたりしていますが。
このような廃墟も近代遺産ではないでしょうか。
それが正であれ負であれ、何か残すものがあれば遺産なのですよ。
それで見たものが何かを感じ取ればいいんです。
▲広大なホール、営業当時に訪れたかったが
そういえば、知人がミニバンが欲しいと言っていましたね。
広いミニバンが数多く生まれ、宿泊費を浮かせる車中泊が流行っている中、
巨大な、ましてやそこそこのランクの団体向け宿泊施設というものが
不要になる社会情勢を感じるのでした。