昨日は七草粥を
お正月はお節を
毎日の暮らしもそう
お弁当やご飯を作りながら、

食材をまな板にのせる時も
ぐつぐつお鍋を煮る時も
じゅわじゅわっと炒める時も
使い終わった調理器具や食器を
洗う時も

それは、特別な時間。

まな板の上は神聖な場所。
食材以外のものは置きたくなくて
食材以外のものを置いたら
まな板に失礼な気がして。

いつも使っている菜箸も
お玉もターナーも
どうか優しく扱って。
丁寧に。

洗う時もそう。
お箸もお椀も器も
激しくぶつからないように。

泡に包まれて
気持ち良さそうにしている
この子たちに
丁寧に、心を込めて。

そこにいる
100均のスプーンも
ちょっと高めのお箸も
シンクの中ではみんな同じ。


きっと誰でも、
高価なものを扱う時は
丁寧に丁寧に扱うだろう。

高価だから
大切にしたり、
使うと気持ちが高揚したり、
幸せな気分になれたりする。

でもきっと
100均のスプーンも
同じ。

何も変わらない、
と思ったんだ。

たとえ100円だとしても、
高価なものと同じように
丁寧に、丁寧に
大切に、大切に
扱ってみたら。

この100均のスプーンも
高価なものと遜色ないくらい
愛おしくなる。

きっとそれは、
値段なんかじゃ
図れるものではなくて。


気づけばそこにある
白菜もそう。

私はオーガニックの野菜を
定期的に購入するけど、
それは最高に大好きだけど、
スーパーの野菜も
地元の畑で採れた野菜も
この白菜だって、好き。

どんな風に育ったか
分からなくても
なんだか愛おしく可愛く見えて。

「ようこそ、地球へ」って
心の中で話しかけてみたら、
地球歴は人間よりずっと長い
この子たちに、

新参者の人間の方こそ
「ようこそ、地球へ」と
言われているみたいに。

可笑しく思えた。


100均で売られていても
高価なものでも、
オーガニックの野菜も
スーパーの野菜も、

きっとみんな同じ。

100均だから、とか
高価だから、とか、
その判断基準は
なにか違う。

すべてが大切なもの。

日々の生活を彩る
必要不可欠なものだったり、
生活を少し豊かにするものだったり、
私たちの身体をつくるものだったり。

そこにもう垣根はなくて
大切なもの。
大切な仲間。

“大切”であることは
何も変わらないよね。

どちらが
優れているとかいないとか、
価値があるとかないとか、
この大きな地球の中では
どうでもいい事なのかも。


そしてこれは
人間もそう。

地位とか名誉とか
学歴とか職歴とか
役職とか年収とか
そんなので図れるものではなくて

働いているとかいないとか
障害があるとかないとか
関係なく

この大きな地球の中で
生きている私たちの魂は、
小さくて逞しくて
みんな同じに輝いていて。

儚くて
尊くて
愛しくて。

毎日を平等に
生きている。

誰が
優れているとかいないとか、
価値があるとかないとか、
この大きな地球の中では
どうでもいい事なのかも。