私はまた、
前回のブログの続きを書く。
こうして深い深い心理まで
探っていくのが好きだ。

「あ、こういうことだったんだ」
と、点と点が繋がる瞬間が、
腹落ちする瞬間が、好きだ。


そうは言っても、
きっと
誰よりも早く、
誰よりも美しい蝶に
なりたかったのは、私。


サナギの私に、蝶を見てた君は
もうこの世界にはいないけど。

「若さ」という蝶を纏い
最高に謳歌してた私も
記憶の中でその時代を
目一杯楽しんでいるけど。

「なんか凄く惜しい」と、
いつまでも留まっている私に
「惜しい」と唸った君も
もうこの世にはいないけど。
(そう言ったなら
開花する私を見るまで生きて)


振り返ってみると私は、
サナギから蝶になれない自分を
行ったり来たりしているみたいだ。

地団駄踏んで。
悪あがきをしながら。

「いつか」蝶になって、
誰よりも美しい蝶になって、
成功してやるんだ。って。

今はだいぶ変わってきたけれど、
それでも昔からずっとある
「若さ」が「美しさ」であるなら、
もうとっくにその特権も失った
「今」になっても。

「いつか」蝶になる日を
揺るがなく信じてもがき、
それでもサナギから
いつまでも脱皮できない「私」を
苦しめる。


「いつか」何者に
なろうとも、ならないとも、
今の芋虫の「ぼく」には
どうでもいいこと。


そう思えるようになるまでは、
随分時間が経ったよね。


「いつか」の呪縛は、
未来にばかり意識を向けて、
「今」が完全に
留守になっていることに
早く気づけ。

魂が抜けた
空っぽの「今」に
いつか夢見てる「未来」なんて
来るわけがない。

いつだって魂が宿るのは、
「今、この瞬間」であり、
過去でも未来でもない。

目の前のことに集中できない
目の前のことを疎かにする私に
未来に何ができようと言うのか?

その大切な気付きをくれたのは、
「来世の芋虫の私」ではなく、
(↑これは物語の中の比喩)
重度知的障害の「モコ」だった。

彼にとっては
過去も未来もどうでもいいことで、
いつも目の前の一つ(悪戯)に
全力集中して楽しんでいる。

構ってほしくて悪戯して、
心の底から笑って楽しんでる。

なんかもう、
すべてがどうでも良くなるような
その瞬間の領域は
なんとも言い表すことができない
神さまが宿る領域のような。

鍋を磨くのと似てる。
ずっとそこだけに没頭していると、
瞑想の世界に入り込めるのと
似ている。


「いつか」何者に
なろうとも、ならないとも、
今の芋虫の「ぼく」には
どうでもいいこと。


「いつか」何者になるために、
私たちは生かされているのではない。

「今」ここにいる「私」が
もうその存在だけで「生」を
充分に味わうことに必要なものは、
すべてもう、揃っている。

最初から全部、
ここにある「今」の中で
どんな未来を繋げていくかは、
結局のところ「今」しかない。



※ACイラストより