私はまた、
前回のブログの続きを書く。
こうして深い深い心理まで
探っていくのが好きだ。
「あ、こういうことだったんだ」
と、点と点が繋がる瞬間が、
腹落ちする瞬間が、好きだ。
*
そうは言っても、
きっと
誰よりも早く、
誰よりも美しい蝶に
なりたかったのは、私。
・
サナギの私に、蝶を見てた君は
もうこの世界にはいないけど。
「若さ」という蝶を纏い
最高に謳歌してた私も
記憶の中でその時代を
目一杯楽しんでいるけど。
「なんか凄く惜しい」と、
いつまでも留まっている私に
「惜しい」と唸った君も
もうこの世にはいないけど。
(そう言ったなら
開花する私を見るまで生きて)
・
振り返ってみると私は、
サナギから蝶になれない自分を
行ったり来たりしているみたいだ。
地団駄踏んで。
悪あがきをしながら。
「いつか」蝶になって、
誰よりも美しい蝶になって、
成功してやるんだ。って。
今はだいぶ変わってきたけれど、
それでも昔からずっとある
「若さ」が「美しさ」であるなら、
もうとっくにその特権も失った
「今」になっても。
「いつか」蝶になる日を
揺るがなく信じてもがき、
それでもサナギから
いつまでも脱皮できない「私」を
苦しめる。
*
「いつか」何者に
なろうとも、ならないとも、
今の芋虫の「ぼく」には
どうでもいいこと。
*
そう思えるようになるまでは、
随分時間が経ったよね。
「いつか」の呪縛は、
未来にばかり意識を向けて、
「今」が完全に
留守になっていることに
早く気づけ。
魂が抜けた
空っぽの「今」に
いつか夢見てる「未来」なんて
来るわけがない。
いつだって魂が宿るのは、
「今、この瞬間」であり、
過去でも未来でもない。
目の前のことに集中できない
目の前のことを疎かにする私に
未来に何ができようと言うのか?
その大切な気付きをくれたのは、
「来世の芋虫の私」ではなく、
(↑これは物語の中の比喩)
重度知的障害の「モコ」だった。
彼にとっては
過去も未来もどうでもいいことで、
いつも目の前の一つ(悪戯)に
全力集中して楽しんでいる。
構ってほしくて悪戯して、
心の底から笑って楽しんでる。
なんかもう、
すべてがどうでも良くなるような
その瞬間の領域は
なんとも言い表すことができない
神さまが宿る領域のような。
鍋を磨くのと似てる。
ずっとそこだけに没頭していると、
瞑想の世界に入り込めるのと
似ている。
*
「いつか」何者に
なろうとも、ならないとも、
今の芋虫の「ぼく」には
どうでもいいこと。
*
「いつか」何者になるために、
私たちは生かされているのではない。
「今」ここにいる「私」が
もうその存在だけで「生」を
充分に味わうことに必要なものは、
すべてもう、揃っている。
最初から全部、
ここにある「今」の中で
どんな未来を繋げていくかは、
結局のところ「今」しかない。