前回のブログを書いて、
(まあ、いつも同じ事を思うし、
このテーマは良く書くけど)
思ったこと。

例えばブログで成功した人たちは、
「ブログを書くことを
毎日1年、3年と続けていたら、
起業や出版や講演など、
絶対「何か」の成果が表れるから、
続けなさい。」と、
成功体験からのアドバイスを
お話しされる。

私、16年書いてても何もない。
そのうち毎日更新は7年。
それでも、何もない。笑

と、思うんです。

じゃあ私は
何のために書いているのか?
「いつか起業するために?」
「いつか出版するために?」

そう思う時もあるけど、
でも本質は違うよね。

私は「いつか」のために
「今」を生きているんじゃない。

「今」、
書きたいから書いてる。

ただそれだけで。

「いつか」という概念は
そこには要らないのかもしれない。



ある日、
「あなたは、生まれ変わったら
芋虫になりそうですよね」
と、言われたことがある。

そこで
芋虫になった私を想像してみたら、
「無農薬栽培のキャベツ畑で
毎日美味しいキャベツの
葉っぱを食べながら、
キャベツのベッドで寝て
そんな毎日が幸せすぎる芋虫」が
真っ先に思い浮かんだ。

想像しただけで
ワクワクするくらい、
「なんて幸せなんだろう♡♡」
と。

ただただ単純に
本当に心の底から
そう思ったの。

そこには幸せしかない♡

この「問い」から、
私は何処にいても何があっても、
「幸せ」だと思ってたけど、
「何者でも」幸せだったんだな、
と気付いた。

自分の「在り方」次第で、
幸せは「ある」もの。

と言っても芋虫は、
人間からはキャーと叫ばれて
嫌われる存在かもしれない。

でも別に
嫌われても構わない。
どんな姿だって構わない。

キャベツ畑で
美味しいキャベツを
毎日たらふく頬張っている芋虫は、
例えば自分のころころした肉体を
「醜い」と思ったりはしない。

「いつか綺麗な蝶々になってやる。
その日まで見てろよ。」と
悔しさを噛み締めることもない。

「いつか」綺麗な蝶々になるとか、
そんなことは、どうでもいいこと。

「いつか」何者に
なろうとも、ならないとも、
今の芋虫の「ぼく」には
どうでもいいこと。

「いつか」何者になるために
頑張る必要もなくて、
「いつか」のために
目標を掲げることもなければ、
夢を持つこともない。

でもそれが「不幸」か?
と聞かれたら、そうではない。

芋虫の「ぼく」は
目の前にキャベツがあって
毎日美味しいキャベツの葉っぱを
たらふく食べながら、
毎日ふかふかのキャベツのベッドで
眠る、そんな「今」に
人生すべてを賭けて。

この「瞬間」を生きている。


それって究極に
幸せな生き方なんじゃないかと、
来世の芋虫の私が教えてくれた。


今は「いつか」のために
存在しているのではなくて、

「未来」のために
「今」を生きるんじゃない。

「今」を生きて始めて、
「未来」も生きられるということ。

「今」の連続が
「未来」を創っているから。

その先の「未来」は、
ちゃんと「今」の延長線上に、
導かれていくもの。




※写真はレタス