モコ、
特別支援学校中学部3年生は
最重度の知的障害がある。

この年の瀬に、
久しぶりに歯科を受診した。
初めて行く歯科だ。

小学校低学年くらいまでは、
頑張って定期的に、
個人の歯科医院に通っていた。

モコは保育園の頃に
心臓の手術をしているので、
(心室中隔欠損症の根治手術)
歯科治療の際には
感染性心内膜炎になる恐れがあり
注意するように説明を受けていたので
虫歯になることは避けたかった。

と言っても歯磨きは
猛烈に抵抗して出来ないので
定期的な歯科受診で歯垢除去を
心がけていた。

当時通っていた歯科は、
小児用に姿勢を固定できるネットが
常設している診察台があったので、
ネットで身体を巻かれての診察だった。

でもこれが、
身体が大きくなり
力が強くなる程に、
ネットを上から被せるのも一苦労。

歯科助手さんや衛生士さん総出で、
更に私も抑えこみながらの
そう、まるで格闘。

毎回毎日、
私は髪の毛から全部、
全身が汗でずぶ濡れになる程に
体力的にも精神的にも疲弊した。

最後に受診した日は本当に、
もうここでの受診は無理なんだと
限界を感じてしまった。

それは私だけでなく、
先生やスタッフさんからも
そんな無言の眼差しが伝わってきた。


そこから、
もうあの時の受診を思うと
とても歯科なんて通えないと。
自ずと遠ざかっていった。

その間、幸い
虫歯にはならなかったけど、
たまってしまった歯石は
取らなければならない。

もうモコの歯科受診は
全身麻酔でないと
歯石の除去も難しい。

全身麻酔は、
心臓の根治手術で経験済みだけど、
やっぱり怖いし、かなりの大事だ。
それなりの覚悟も必要だし、
何より診てもらえる歯科を
探さなければならない。

場合によっては
紹介状も必要になるだろうけど、
以前通っていた歯科に再び行くのは
少し抵抗があった。

学校の歯科検診でも
歯科の受診を勧められ、
学校の先生からも情報を貰った。

障害者施設内に
併設されている歯科なら、
重度の子供たちも通っていること、
全身麻酔もできることを教えて頂き。

相談員さんに相談すると、
紹介状は市区町村の福祉課でも
書いてもらえる事を知る。

更に受診した事のある
支援員さんからは、
麻酔をして治療をしても
直ぐに帰って来れること、
利用者さんは帰って来てから
普通にご飯を食べられる事を
教えてもらった。

情報を得るたびに
ハードルがどんどん下がっていく。

麻酔して治療しても
本人の負担は軽そうだ。
紹介状は歯科に行かなくても
書いてもらえるんだ。

なんだ、そんなに。
大変なことではなさそうだぞ。

と、いうわけで、
年の瀬に受診。

今回は初診だったので、
問診と、採血、
歯の状態を診るだけだったけど、
それでもやっぱり大変だった。

問診中もパーティションを
ひっくり返すイタズラを2回、
その度に看護師さんは笑ってくれた。
「元気でいいね!」
「元気なことは良いことよ!」

採血はネットに包まれるのだけど、
暴れて抵抗するモコを
看護師さん総出で参戦。
「お母さんは待合室で待っていて」
と、私は参戦せず。

この光景も
かなり久しぶりの光景だ。

小さい頃は小児医療の
色んな科にあちこち通っていたから、
採血や治療も沢山経験したけど、
かなり久しぶりの、採血。

でも看護師さんも慣れたものだ。
ここは障害者施設内の歯科だから、
重度知的障害の患者さんを
毎日、治療している場所。

この安心感は、なんだ。

怒られると思った。
迷惑がられると思った。
呆れられると思った。

また冷たい視線を
また哀れな呆れた視線を
浴びるのだと思ってた。

「大丈夫!大丈夫!」
「元気ね!」
「元気なのは良いことよ!」

と元気に笑う看護師さんと、
優しい眼差しで
丁寧に説明してくださった先生に、
めちゃくちゃホッとした。

安心した。

涙でそうなくらい。

ここに、来ていいんだ。
そんな感じの。

優しい言葉をかけられて
優しい眼差しをかけられて
こんなに安堵したことに
私が私の中で驚いた。

そう、それは
逆に言えばきっと、

今までどんだけ色んな場面で
疎外感や拒絶感や虚無感を
感じてきていたんだろう、と。

なんだか物凄く
懐かしい思いでもあって、
でもそれは間違いなく
現在進行形の思いでもあった。

全然大丈夫なふりして、
何にも気にしてないふりをして、
今までずっと長いこと、
障害児育児をしてきたけれど、

でも潜在意識の中では
こんなにも傷ついていたんだ。

優しさが沁みるほどに。

居場所がある安堵感に。
居ていい場所があるってことの
素晴らしさに。

懐かしいような気がして
今も尚、こんな気持ちが
あったなんて。

確かに存在していた気持ちが
ぽかんと浮いてきて、
またこうして誰かの言葉に
癒されていく。


「ここにいていいよ」

どんな状態でも
どんな状態の時でも
無条件で受け入れてもらえると
思えた時、
ここに生きる“意味”を
感じることができるのかもしれない。

そんなことをふと思った。

最近悲しい事件が多いから
尚更そんな気持ちが
湧いてきたのだろう。

無条件に
受け入れてもらえた
愛を知った時、
“生きていて良かった”と
思えるのかもしれない。

誰でもきっと、
多分、多かれ少なかれ
孤独感や、哀しさを抱えていて。


そんな時、
無条件で受け入れてくれる
場所があったら、
救われることも
あるのだろうと思いを馳せた。

ぽっかりと空いた穴を
優しく埋める社会でありたい。

そう願う。