モコ、小学6年生。
先月、支援籍先の地元の小学校にて
小学校最後の運動会に参加して来ました。

モコには6歳年上のお兄ちゃんと
2歳年上のお姉ちゃんがいるので、
小学校4年生までは在学児の兄弟として
普通に運動会に応援に行っていました。

その時も
徒競走だけは参加させて貰ったり、
入場行進を親子で一緒に歩いたり、
一部だけ参加させて頂いていました。

正式に「支援籍」の授業として
参加させて頂くようになったのは、
4年生の時からです。

授業としての正式参加なので、
支援学校の先生も
一緒に来てくださり、
全面的にサポートをしてくださいます。

応援席も用意してくださり、
在校児の一員としてチームに入ります。

競技もなるべく多くの競技に出れるよう
今年度は運動会の練習の授業にも
支援籍として参加させて頂きました。


支援籍は、
地元の学校との交流ができる場です。

もしモコに障害がなければ、
いや、支援学校という
選択をしなかったら、
通っていた学校です。


障害のある子供を
地域の学校へ通わせたいと思う中で、
色んな思いがある中の1つに、
下記のような思いを
抱いている保護者は多いと思います。
(私は特にこの思いが強かった)


「地域にモコのように
障害のある子がいることを
知ってほしい。」

「地域に暮らしているモコを
知っていてほしい。」

「一緒に成長を見守ってほしい。」

「当然のように毎日いる環境で
一緒に育つことに意味があるのでは。」


それらは、
地域の学校に在籍していないと、
叶えられないことでしょうか?

もちろん何処まで求めるかによっても
それを「叶えられた」と思うか
「叶えられなかった」と思うかは
異なりますが。




日曜日、モコと歩いて
近くのスーパーに買い物に行きました。

レジで並んでいると、
先に並んでいた子に
見覚えがありました。

その子は、運動会の応援席で
一緒になった他学年の女の子でした。

モコのことをガン見してたのが
印象的で(みんなガン見します笑)
ひとこと、ふたこと、お話したかな。

モコのことではなくて、
運動会のプログラムを
その女の子に聞いたような
記憶があります。

そんな他愛のない雑談。

通常の支援籍の授業は
同学年の同級生の授業に参加するので、
他学年との交流はありません。

休み時間に行くタイミング等で
他学年の子に会うことはありますが、
その程度なので、モコのことは、
みんな、なんとなくしか知りません。

それこそ最初の頃は、
モコは小さくても○年生なことや、
成長がゆっくりな事を
伝えてましたが、

もう6年も支援籍に通っていると、
なんだかすっかり慣れて、
ガン見してくる子に
にっこり微笑み返す以外の反応を
私自身がしなくなりました。

とくに運動会になると、
1年生から6年生まで縦割りチームで
一緒になるので、
みんなモコがいることを
不思議そうに
しばらくずっと監視してきます。

最初は
なんでこんな小さな子(園児に見える)
がいるんだろう?という素朴な疑問から
“なんかこの子、違う。”
という沸き立つ疑問まで。


そんな素直な反応も
嬉しく思う私がいます。

「うんうん、そうだよね。
不思議だよね。びっくりするよね。」
と、心の中で声をかけながら、

こちらが答えを出さなくても、
何かを感じてくれているでしょう。
それが、衝撃的であっても。

それが負の感情であろうとも
なかろうとも。

モコはこのまんまの姿がモコで、
そこに医学的や学術的な説明も
属性も必要なくて。

そこにいるその存在だけで、
何かを感じさせる事ができるモコは、
なんだかめちゃくちゃ
凄いんじゃないかと。

最近私はそんな風に
思うようになっていました。


モコが存在していることで、
それだけで、
大きな役目を、
果たしているんじゃないかと。




この日、
スーパーで会った女の子も、
運動会の日、
モコのことをじっと見ていました。

スーパーで会ったその日も、
モコに気づいてくれたので、
「こんにちは」と声をかけてみました。

すると、
「こんにちは」って返してくれました。
それから、こう言ってくれました。

「運動会で会った、、」って。

だから私はすかさず、
「覚えててくれて嬉しい。
運動会、同じチームだったよね」
と答えて、いくつかのお話をしました。

そうこの時も、
他愛のない話をして。

「またね」
って帰っていった。

私はなんだか、
ものすごく、すごく、
嬉しくなったんだ。


こういう事じゃないかな。
これで良かったんだ。

“なんとなく知ってる子がいる。”
それでいいじゃないか。
それが、いいじゃないか。

“なんとなく知ってるし、
だからなんとなくお話もする”
それでいいじゃないか。


それ以上は、
どう捉えても、どう感じても、
自由。





私は、運動会に6年間参加して、
良かったな。と、最後の最後に、
この女の子に会って、
その沸き立つ感情を確信した。


支援籍での交流は
ほんの少しの時間かもしれないけど、
この支援籍を通じて、
モコが何か影響を与えたのは
きっと事実だと思う。


意味があるのか、ないのか、
本当はそんなのも関係なく。
ただその経験がもたらせるだけであり。


多分それは
そこにある意味とか
価値を見い出すとか、
そんなのをとっくに越えて、
もっともっと大きなものを。


ただただ、その
存在だけで与えてる子と、
ただただ、それを
受け取ってくれている子供たちがいる。


それは親や、周りの大人に、
どんな意図があろうとも
そこにどんな目的や
目論見があろうとも、
そんなのは関係なく、
もっともっと深いところにあって。


そこにある叡智に、
気づいてしまった。