前回の記事、
“ 今日は、そうなるようになっていた ”

こちらを更新した次の日、
まさに予言していたかのような
出来事が立て続けに重なった。


その日、
長女が突然の高熱、38度6分。
卒業目前でインフルエンザの不安が過る。

私は前日も、小学校最後の
授業参観で会社を休んだばかりで
また次の日も休みを申請する事に。
こうゆう時は、申し訳ない気持ちと、
一番辛いのは、熱を出してる子供、
もちろん最優先な気持ちと。

どうにもできない少しの葛藤と。



2日後に大事な仕事を控え、
もし休みが長引くと、それも厳しくなる。
連日の休み取得に、
当日同行させて頂く予定の上司にも、
だいぶ心配をかけてしまった。


心配していたインフルの結果は陰性。



次の日には熱が下がり、
少し体調が優れない面もあったけど、
それほど辛い症状もなく、完治。



これで予定していた大事な仕事も、
穴を開けることなく行ける。



良かった。と、安堵して迎えたその日、
朝から都内に向かっていると、

今度はモコが38度8分の高熱が出て、
まさかのお迎え要請。




送迎をお願いできる業者を
電話で探して、両親にもお願いして、

ちょうどその日、たまたま
まだ本調子でない長女が、
学校を休んで家にいた。

その長女が、
連絡のパイプ役になってくれて
大活躍してくれた。

(長女が家にいなかったら、
こんなにスムーズにいかなかった)



やっと手配を全部終えたところで、
思わぬロスタイムに、
予定していた時間は大幅にオーバー。


仕事が押して焦る気持ちと、
モコの容態の心配と、
(もし元気な場合)モコが暴れて
看病する家族が見きれないという不安と。


また複雑な気持ちが押し寄せる。




まるで昨日書いた記事は、
今日の事を予期してたみたい。


“ 今日は、
そうなるようになっていた ” んだ。



と、

もう半分諦めのような、

もうどんなに不安になっても
葛藤しても足掻いても、
仕方ないんだ、と。



もう全ての感情を
運命に委ねるように、

手放す。






ふぅーーーー、と、
深く息を吐き出す。

切り替え完了。



今度は最悪の事態になった時の
今後1週間の想定と
シミュレーションをしておく。


その時に出来ること、
仕事の調整、段取り。

どうしても代わりのきかない
仕事への対応。

こうゆう時、
預かってくれるところは、
何処にもない。



出来る限りの最善の
シミュレーションを模索しながら、

でも出来ることなら、
願わくば、
熱が下がってくれる事を、祈る。



その日の仕事を無事終えて、
次の日、病院受診。


インフルエンザ、陰性。



熱も1日で下がって、
ほっとした。



と思った束の間、
今度は私に来た。


なるべく余計な体力は使わないように、
やるべき事だけに集中する。



子供たちの体調管理と、
自分の体調管理も。


仕事と育児の両立も、
かれこれ16年間 。

常に綱渡り。




“今日は、
そうなるようになっていた。”


それは、諦めであり、
赦しであり、緩むことであり、

全ての現状を、
受け入れることでもある。




すべて自分で選んでいること。



そしてこれもまた、

いつか懐かしい日々へと
思い出に変わっていく。