今日は長女の、
小学校生活最後の授業参観と
親子レクでした。

とっても感動した。
とっても温かい、良い会でした。


今回の最後の授業参観は、
高校が休みだった長男が、
一緒に来てくれました。

小学校までの道のりを、
背が高くなった長男と一緒に歩くのも
なんだか嬉しい。




授業参観の1ヶ月くらい前から、

「もう小学校に行けなくなるし、
最後の授業参観に行きたい」と、
長男が切望してた。


もちろん長男の母校でもあるし、
長女の現担任の先生は、
長男の小6の時の担任の先生でもある。


そんな事もあり、
長女がもうすぐ卒業する小学校は、
長男にとっても思い出がたくさん。


実際今日の授業参観は、
お父さんやお兄ちゃんお姉ちゃんも
見に来てくれてた家族も多くて、
思わぬ再会もあったりで。


それもまた、楽しめた時間でした。






授業参観に行く前日の昨日、
長男と、小学校時代の話をしました。



「小学校5年生の頃は、
一番反抗してた。

なんでそんな事をしたのか、
あの頃の自分に聞いてみたいよ。」


え?そうだったっけ?
そんな記憶はあまりないので
詳細を聞いてみると、


なんでも
“ やりたい事を全部やった ” らしい。




・テストの答案用紙の答えに、
全部「1」と書いてみた。

・テストの答案用紙の答えに、
全部「あ」と書いてみた。

・0点を取ってみた。

・悪い点のテストを親に見せずに
庭に埋めてみた。


(※小学校の時、悪い点のテストを
裏庭に埋めてたのは、私です。(笑)
↑これを私から聞いてたので、
やってみたかったんだとか)



「すっごくくだらない事だけど、
こうゆう事を中学や高校になってから
やってたら問題でしょ?

やりたいと思ったまま、
ずっと我慢して、
出来なくて後悔したまま、
大人になりたくないでしょ?」


「だから、今しかできない



と、思ったそうです。

いやそう思ったかどうかは
自分でも定かではないし、
やりたい事をやったら結果そうなった。
だけかもしれないけど。

(きっと潜在意識では
きちんと理解していたのだろうと思う)



結果、
0点のテストは埋められてしまったし、
幸い先生からの指導もなかったので、

私がこの長男の一連の行動を
当時は知る術もなかった。




もし、この時、
これを知ってたら、
どうしていただろう?

私はそもそもそんなに
勉強には重きを置いてなくて、
小学校のうちは、勉強よりも
友達と遊ぶことに重点を置いていた。

幼少期は、
コミュニケーション能力を
高める大事な時期だから。


「アホか」(笑)

くらいの突っ込みで
案外終わってたかもしれないけど、
(その可能性の方が高い)

もし担任の先生も、
この行動を「大変なこと」と判断し、
大問題として扱われていたら、
私もきっと便乗して
長男を叱っていたかもしれない。




そうならなくて、良かったな。

担任の先生も
スルーしてくれて良かった。









今日、授業参観で
担任の先生が最後に話してくれた中で、
前日の長男とのこの会話が、
リンクした。


長女のこの学年も、
小学校5年生の時、
色々あったんだった。


そんなのは
もう記憶にもないくらい、
今日の学年レクは
みんな満面の笑みを見せてくれた。

照れながら恥ずかしがりながら、
親子でいっぱい交流できた。


小学校5年生くらいの時は、
ちょうど反抗したくなる年頃なのかな?


その時たくさん悩んで、
たくさん心配して、
怒って迷って泣いた日々は、

子供たちの目一杯の反抗に
親も体当たりで振り回された日々が、

なんだか懐かしく。


(うちは長女のお気楽な性格上、
茅の外ではあったのだけど)


そんな風に思いっきり、
体当たりして親子でぶつかる時間も、
それはとっても大事なことで、

かけがけない、貴重な時間なのだと。



そう感じた。



その時は台風の中にいても、
それはほんの短い出来事で、


過ぎ去った後は、
穏やかな時間に変わってる。



“あれは何だったんだろう?”



って思うくらいに。



それはちょうど昨日、
長男が呟いた言葉と重なる。









答案用紙に全部同じ答えを書くのも、
テストで0点を取るのも、
悪い点数のテストを埋めるのも、



「大変なこと」でも、
大問題でもなかった。




本人が、
理由があって(意図して)、
やっている事だから。



きっと小さいうちの、
“ 今 ” しか出来ないことって
沢山ある。



その小さくて大きな好奇心を、
それがどんなにくだらない事でも、

咎めることなく、抑制することなく、
思いっきり、冒険させてあげてほしいな、
と思った。



特に男の子の好奇心は、母親には
到底理解できない事であっても。



多分それは、
問題ない。




一時の、一時期のことを、
短期間だけでなくて、


もっともっと長いスパンで
でっかく見ていけば、


何ひとつ問題ない事だと、



目の前の子供を、
信じて見守っていけたら

と思う。