ネギは小さい頃から、吃音がありました。
今はだいぶ、気にならなくなってきたかな。



昨日、幼稚園の頃から一緒だったお母さんに、

「当時ネギくんが参観日とかで発表する時、なかなか言葉が出てこなくて、私も昔そうゆう時期があったから、いつもその状態を見て、うるうる泣いてしまっていたんだ。」

と、言われました。


「でもそんな時、ネギくんのお母さんを見ると、堂々としてて、全く動じてなくて、じっと見守っていて、強いなーって、思ってた。

私がもし自分の子だったら、側まで行って、ボロボロ一緒に泣いてたと思う。実際、私の親はそうだった。言葉が出なくて泣いてた私の机まで来て、母も一緒に泣いてた。」

って。

「幼稚園の時の最初の参観日の時も、小学校入ってからの参観日でも、保護者会で「うちの子は吃音があります。見守ってくださると嬉しいです。」って、ちゃんとみんなの前で包み隠さず話して、凄いな。って。


いつか聞こうと思ってたの。なんでそんなに強くいられるの?って。」


って。





私も、心配してなかったわけじゃない。
奇異な目で見られたらどうしよう、それが原因でいじめられたらどうしよう、お母さん達からも変な風に思われるかも。

って、思った。少しは。



でもそこで、私が「どうしよう、どうしよう」って思っていても始まらない。

私が不安になればなるほど、動揺すればするほど、私の不安が、絶対ネギに伝わってしまう、と思ったから。

それよりも、

吃音だって一つの個性。
それは恥ずかしいことでも、人より劣ることでもない。
ネギは、ネギ。
ありのままのあなたでいい。
だから何も、気にすることはない。
それでいいよ。

って。


すべてをありのまま、受け入れることが、大切だ。って思った。


だから最初の参観日に臨む時、何があっても、声が出せるまで何分時間がかかろうとも、私は絶対動揺しない。って決めた。

穏やかに、見守るだけ。
それが私の役目だと思った。


もちろん、側に行って一緒に泣いてあげるのも、愛だと思う。



でも私は、見守り抜くことを決めた。

今でも通してる。


いつか自分の力で、乗り越えなきゃいけないことだから、向き合っていく覚悟をもたなきゃいけないことだから、幼稚園入園の時、「見守る 」と決めたことは、将来のネギの「自立」を見据えてのこと。



吃音を乗り越えて、教師になった方もいらっしゃる。
ネギも、もしかしたら、いつか話す職業に就いてるかもしれないよね(*^^*)



親に出来ることは、案外少ない。

すべてを受け入れること、
見守り続けること。



だと思う。










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