先週から、
「Sakura」の中で
グヤーシュ(das Gulasch)のお話をしていましたが…
【Lektion 11-1】 Was wird gekocht?
http://ameblo.jp/kantan-doitsugo/entry-11749559950.html
【Lektion 11-2】 Was wird gekocht?
http://ameblo.jp/kantan-doitsugo/entry-11755145814.html
これらの記事を書いてから、1つ不思議に思っていたことがあるんです。
グヤーシュは、
元々「ハンガリーの料理」で、「パプリカを使ったスープ」
だとお話しました。
…それならば、
いつ頃からグヤーシュは存在していたの?
と思ってしまったんです。
何故、こんなことを思ったのかと言うと、
パプリカは、アメリカ大陸原産で、
大航海時代になってからヨーロッパに渡ってきたからです。
これは、ビックリされる方もいらっしゃるかもしれませんが、
大航海時代まで、
唐辛子も、その甘い品種のパプリカも、
ジャガイモも、トマトも、ナスも、タバコも、
ヨーロッパにはなかったんです。
ということは、
ハンガリーにも、グヤーシュはなかったんじゃないのか?
あるいは、その元になる料理があったんじゃないのか?
と思ったわけなんです。
どうやら、グヤーシュ自体は、中世くらいにはあったみたいです。
というよりも、それ以上遡るのが難しいのでしょう。
グヤーシュの元の言葉の、「gulyás」というのが、
「牧夫の食事」という意味らしいのです。
「牧夫」と言いますが、
元々彼らのルーツは、「マジャール人」と呼ばれる遊牧民族です。
彼らは、屋外で火を起こし、そこに鍋をかけて、
肉とタマネギを軸にスープを作っていたようです。
中世ヨーロッパでは、一般的には肉は貴重なものだったのにも関わらず、
肉の入ったスープなんてものを食していたのは、
彼らが肉を軸とした食事をしていたからのようです。
そんな彼らが、今のハンガリーのあたりに定住することになるのです。
その結果、ハンガリーあたりの土着の料理になっていくのです。
10世紀末に「ハンガリー王国」が建国されますが、
グヤーシュは、決して宮廷の料理にはならず、あくまで庶民の料理であり続けました。
だから、史料としてそんなに記録が残っているものではなさそうです。
その為、いつ頃パプリカが使われるようになったのかまでは、
調べるのはなかなか難しそうです。
ただ、「パプリカ」が伝わった時期であれば、分かります。
16世紀になって、オスマン帝国からハンガリー一帯に伝わったようです。
…というのも、
どうやら、スペインから伝わったものが、どうやら先にオスマン帝国に伝わり、
その後、オスマン帝国がハンガリー一帯に進撃してきた時代に伝わったからです。
(この頃は、オスマン帝国は、ドイツ語圏の隣にいたのです。)
ただ、「パプリカ」と何気なしに言っていますが、
この頃の「パプリカ」は、
刺激的な辛さのある「唐辛子」(チリペッパー)のことです。
それが品種改良されて、辛味が薄いものになったのが、
今のパプリカなのです。
今見られるような、グヤーシュが紹介されるようになったのは、
18世紀も末になってからです。
その頃には、ハンガリー一帯は、
オーストリアの支配下にあったのですが、
オーストリア領内の料理本で、「ハンガリーの料理」として紹介されるようになったのです。
その後、19世紀も末になると、ドイツ軍でも料理されていたようです。
(この辺は、日本海軍の肉じゃがやカレーみたいな話ですが。)
先日もお話したとおり、ドイツ語圏ではグヤーシュは一般的な料理になりましたが、
実は、こんな過去があったようです。
今日は、これにて。
次回は、あさって更新します。
<リンク>
Quatsch! バックナンバーはコチラ。
http://ameblo.jp/kantan-doitsugo/entry-11528446169.html
次回:「ドイツ」に「ジャガイモ」がない時代 【中世の食事事情】
http://ameblo.jp/kantan-doitsugo/entry-11763605162.html
前回:【Gipfeli?】 小さなパンの、大きな勘違い Wieder 【Brötchen?】
http://ameblo.jp/kantan-doitsugo/entry-11751786026.html
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