納棺が終わって病院の外へ。
私は今日の退院が叶わず、外出扱いで外へ出る。

ほんの50センチもない幅の白い布をかぶせてある棺を膝の上に乗せて、車椅子で移動する。
誰かに見られたくないなあ。人に会いたくないなあと思っていたら、何も言わずとも病院側の配慮で裏口から出してくれた。

いざ車に乗せて斎場へ。


斎場では両親、弟家族と合流することになっている。
主人の方のお母さんには、今回突然の出来事というのもあり、妊娠してからすぐにつわりになって実家にもなかなか行けなかったから、こんな悲しい事だけ来てもらうのも気が引けて、後報告することにした。

初めて一緒に乗る車が最後に一緒に乗る車。
これは本当に、経験しないと分からないことかもしれないけれど、ほんの些細な事や文字や画面や景色が、全てかんちゃんに繋がってしまう。
別にそこに照準を合わせているわけでもないのに、想像して微笑ましくなったり、また涙が出て来たり。

完全に情緒が乱れている。

私をよく知る方たちなら皆さん思う事かと思うけど私は陽気で楽観的な女だし、小さな頃は内向的な自分に本当に嫌気がさしていて、今の自分に自分を創り上げるまでにそれはそれはたくさんのことを感じ、考えて来た。
だから今回のような『明らかな悲しみ』があっても、『それを受け入れる』事はそんなに難しい事ではない。
って、完全にタカを括っていたけど…
精神と身体がシンクロしてくれない。

どんなに『もっともっと辛い人だって乗り越えて頑張ってるんだから』
『今まで中絶だってして来たくせにこんな時だけよく言うわ』
『まだ早くに分かって良かった方じゃないか』
って自分に言い聞かせて理解できるとしても、身体が理解しない。

涙は勝手に流れてくるし、熱も下がる気配もない。
だるいししんどいし重い。
理解できてるのに!これは今もなお続いている事で、今辛いことのひとつでもある。
そんな事を考えながら車で30分程走った頃だろうか、斎場へ到着。


次々と身内が到着していく。
みんなかんちゃんへのプレゼントを作ってきてくれたり買ってきてくれたり最後の最後にとってもとっても可愛らしい棺が完成した。
折り紙手紙ベビーシューズにお菓子、おしゃぶり。
画像を貼り付けるのに、かんちゃんの顔にスタンプを押しまくるのにも今心苦しかったけど、このサイズから見て本当に小さな大物だったなあと少し微笑ましくもあった。

かんちゃんの棺がちょうど乗るより少し大きいくらいの台の上に乗せられて、最後のお別れ。
蓋を閉めるのはわたし。
本当に本当に本当に苦しかった。
昨日会えたばかりのわが子を今日送る。
天国へ行くんだね、なんて思えるわけないやん。
この蓋を閉めたら、火葬台に乗せられる。
もう…いいやんか、このままそっとしておいてよ。
何回思ったことか。
静かに泣くのがこんなに難しい事かってくらい声を殺すのに必死。
私が取り乱しては、誰も止められないから。
そして誰かに止めてもらえなければ、今の私は止まれないから。
かんちゃん〜本当にごめんね。
誰のせいでもないって理解してるけど、それでも思う。
それ以外にかんちゃんにかける言葉が見当たらなかった。
たとえ心の中だけだとしても、ありがとう、ごめんねを、何度も繰り返して、蓋を閉じた。


急な事だったから、市の斎場で言われるがままの火葬。
本来なら大人を送る事の方が多いであろうその火葬台は、かんちゃんの棺を見失いそうなほど大きい。


かんちゃんを乗せた台が遠くなっていく。
かんちゃんが眠っている棺がもっと小さくなっていく。
ああ、嫌だ。
ああ、本当に嫌だ


あんなに小さな身体で頑張って産まれてきてくれたのに、ひとりで、箱の中で、熱い思いをさせないといけないのはなぜ。
寂しいに決まってる、苦しいに決まってる、出来ることなら一緒に入ってあげたい。
非現実でも、本心でそう思った。
かんちゃん、本当に本当にごめんね。

自我がコントロールできそうにないほど、叫びたかった。
かんちゃんが、熱い思いするやんかもう止めてよ。
だけどここでそんな事叫んでも、どうにもならない、頭では分かっているけれど、叫びたかった。

火葬場の扉が閉まる。
本当にありがとう、かんた。