火葬場の扉が閉まると一同、合掌。
合掌なんか、していられないけど。
斎場のスタッフさんから説明。
『今から大体火葬に1時間半ほどを予定しております終了予定は17時20分頃になりますのでその頃までロビーでお待ち下さい。』
ビックリした。
あんなにちっちゃいのに1時間半も焼くの…。
なんでそこまでするかな…。
17時20分までの間、斎場のロビーで待つ。
さっき枯れるほど泣いたから、頭がボワーっとして耳も聞こえにくいけど、もう涙は出なかった。
みんなでかんちゃんの話やいろんな事を話し、笑い、時間を過ごした。
今はまだ天国に行ったとか、また会えるとか思えないけど、すぐにそう思えるはず。
わたしはまた、強くなるんだなと。
しばらくしてスタッフさんが迎えに来てくれた。
予定していたより30分ほど早かった。
さっき閉まった扉が開く。
棺を乗せたときよりもっと、かんちゃんがどこにいるのかわからない程あらためて見ても、大きな台。
変わり果てた姿を見て、いや、正確にはもう姿は無くなっているけどスタッフさんが小さなスコップをもって目を凝らしてくれる。
『これもこれもこれもお骨ですね!』
あまりに小さいから諦めていたかんちゃんの骨。
よくよく見るとたくさん残っている。
それもすごくキレイな形。
あらためて涙がでた。本当にありがとう。
かんちゃんが生きた証が、確実に存在する。
これからも残していくことができるのだ。
これは本当にうれしかった。
骨つぼの用意もしていなかったので、小さな綿花と綿花の間にお骨を挟んで、帰ることになった。
帰りの車の中で思ったこと。
正直に何一つない。
何も思わない、何も感じない、何も考えられない。
だけど今はそれでいいのかなあ。
さっきかんちゃんと共に出た病院へは私だけが戻り、昨日かんちゃんが産まれてきた病室で一人の時間を過ごす。
時間というのはとっても刹那的だ。
目に見えないし形に残せないから、同じ場所で毎日たくさんの出来事が起こる。
すこし冷静になった今は、あの日もあの日もあの日も後悔しか残らないけれど、私にとってもかんちゃんにとってもこれが人生であり、生きるということ。
たとえ16週の命だとしてもそれが生きるということ。
すごく大きなテーマを残してくれたかんちゃん、今はまだ前向きに考えられないけど、かんちゃんが産まれてきてくれた事の意味は、探さずとも必然なんだと思う。