夜寝る時

朝起きる時

 

奴は姿を現す

 

”現す”と言うのは少し違う

その瞬間に出現したのでは無い

 

いつも奴はすぐそこにいて

僕をじっと観察し続けている

 

そこにいるのだけど

僕が浮かれ調子の際には消して出会う事は無い

 

奴は僕が冷静になる時を待っている

奴は僕が孤独になる時を待っている

 

どんな人間でも

寝る時、起きる時

 

孤独を抱かざるを得ない

 

(家族や同居人がいれば話は別であるが)

 

 

 

 

 

実際どうなの?

 

奴の正体は”現実”

 

心の本音

現実的な問題

過去の事実

 

とかく、リアルである

 

ふと足元を見てみれば

ふと冷静になってみれば

ふと飲み会から帰ってみれば

 

「ずっとお前を見ていたぞ」と

 

触手を這わせる様に

襲い掛かってくる

 

 

 

 

 

実際の所

自分のせい、の結晶だから

そいつは自分であり

 

魔物でも何でもないのだが

 

 

 

 

 

 

僕はそいつが怖い

 

朝起きた瞬間

まず最初に挨拶をしてくるのは

 

僕の愛犬達では無い

 

”リアル”である

 

「おーいなんで生きてんだ?」

「逃げてばっかだな」

「この廃人!嘘つき!」

 

と散々罵声を投げる

 

後悔や執着や不安が強い人ほど

こいつに出会う事は多いのではなかろうか?

 

 

 

 

 

 

怖くて、少しパニック

 

ドクドクと脈が速くなる

 

まず僕は

家にいるのが怖い

 

自分の空間にある

物や習慣行動

 

冷静に一つ一つを観察すると

その根底にはどんな心理が働いているのか?

如実に見えてしまうからである

 

逃げ、誤魔化しで設計されている

 

余暇というものは

現実に対峙し続けた人間に許されるものだ

 

 

 

 

 

 

逃避手段

 

家から逃げるように

散歩に出るか、喫茶店に行くか

 

どちらにせよ

一種の興奮状態に自分を追いやりたいのだ

 

興奮し、緊張し

ギンギンに覚醒していないと

 

心の痛みに耐えきれず

現実的な問題に立ち向かう事が出来ない

 

しかし、興奮にも限度があって

すぐに冷めてしまう

 

別の方法で興奮するように

タバコ、ゲーム、趣味、ご飯、酒など

 

興奮スイッチを彷徨う

 

強烈な興奮作用のある

麻薬を接種する事は違法であるが

 

合法化された興奮剤ジャンキーである僕は

もしかしたらコカイン中毒者の飛びと全く同じかも知れない

 

 

 

 

 

 

仕事だって

生活の手段であり

興奮の手段だ

 

僕は好きな仕事では無いけれど

没頭し、興奮する仕事についている

 

笑顔は無い

眼光を見開いて、淡々とこなす

 

 

 

 

 

プライベートでも興奮せざるを得ない

 

友人と遊んだり

家族と会ったり

職場の飲み会で会ったり

 

興奮状態は

僕をクレイジーにしてくれる

 

面白い話やお道け

 

面白がってもらえるとチンケな陶酔感を得れるのだ

 

 

 

 

 

成れ果て

 

ギンギンが出来上がると

どーやってもスイッチが切れず

 

何よりも恐ろしいのは

 

興奮した神経を

”僕自身だ”と捉える

 

今だってコーヒーを飲みながら

仕事の休憩時間を使って書いている

 

生々しい僕ではない

 

 

 

 

 

 

まるで鼻息荒い闘牛だ

 

しかも真に闘っているのでは無い

闘っていると思い込んでおり

俯瞰すると何でもないのだ

 

「落ち着け!落ち着け!」と

その闘牛を押さえつける様に

無理やりストレッチで緊張を取って

 

落ち着いてくる

 

孤独がやってくる

心の問題がやってくる

 

 

 

 

直面

 

常に

僕が向き合うべきは

心の奥底にあるのだ

 

会いたい人がいる

謝りたい事がある

伝えたい事がある

 

電話一本かけるのでさえ怖い

友人と会った時どんな話をしたら良いか、分からない

 

結局、何も行動せずに

繰り返しの日常を何十、何百と繰り返して

 

何も変わっていない

 

 

 

 

 

 

心の問題というのは

核の問題である

 

核を誤魔化そうというのだから

ちょっとした麻酔では効果を発揮しない

 

より強い麻酔

または複数用意する

 

世の中には

あらゆる中毒や熱中事があるけれど

 

皆、僕と同じ状態なのだろうか?

 

”ぶっちゃけさぁ”

 

ってのがずっとあって

そのまま感じると、どぎついから

 

夢の中

刺激の中

興奮の中

 

身を宿し続けているのだろうか?

僕だけのパラノイアなのかな?

 

 

 

 

どの道、醒める

 

最悪なのは興奮剤は

多くが毒だ

 

金がかかったり

体に悪かったり

 

経済的な破綻や

病気になって

 

現実的に接種が難しくなる

 

どの道いつかは

シラフにならざるを得ないのだ

 

しかも僕が逃避を続けている間

 

心と現実に向き合い続けて生きている人達との

能力的、精神的、強さがかけ離れており

 

その人たちが近くにいるなら

いつかは、めっぽう叱られる

 

叱られる事が無くても

現実が現実を突きつける

 

 

 

 

 

 

それでも進み続けるなら

 

誤魔化し続けた人生の果て

 

病室で横たわり、灰色の天井を見上げ続け

僕はどんな絶望を味わうのだろうか?

 

その状態でどう逃避すればいいのだろうか?

 

そんな最悪のバッドエンドを想像してしまう

僕にとってその絶望は死よりも怖い

 

 

 

 

 

最後に

 

「IN TO THE WILD」

という映画をご存知だろうか?

 

実話を元に作られた映画で

1992年アラスカの荒野に放棄された廃バスの中から

青年の遺体が発見される

 

青年は日誌をつけており

ジャーナリストであるジョン・クラカワーが

その日誌を辿り、作品とした

 

青年は裕福な家庭に生まれるが

その実、家庭内暴力が横行していた

 

外から見れば、誰もが羨む、理想の家庭

しかし家庭は崩壊している

 

幼い頃には

家族を茶番として見ていた

 

表面上では

健全で優秀な息子として

勉学に励む

 

高校卒業のタイミングで

家出をして

 

青年はアラスカを目指す

 

青年の目的は

物と金から解放され、動物として極限の中に生きる事であった

 

アラスカに向かう道中

多くのヒューマンドラマがあり

 

青年は出会いの度に

助言を貰う

 

しかし青く、崇高な志は止まる事無く

 

遂にはアラスカに到着し

サバイバルをするが

のたれ死んでしまう

 

彼が衰弱し始め

死の近くで書いたと思われる

最後の一文は

 

「HAPPINESS ONLY REAL WHEN SHARED」

(幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合った時だ)

 

 

 

 

 

 

孤独を持つことは自分を持つことに等しいが

 

人間、孤立してはならない