有料の、『頼まれごと』をされた経験はお有りでしょうか。
例えば、そういう、『頼まれごと』が来た時に、
『好きでやっているので、お金は要らないですよ』
と言って、受け取らない人がいたりするわけです。
ある御方曰く、こういう人を、
『傲慢な人』
というのだそう。
なぜ、『傲慢』なのかというと、
『「自分の手元にあるお金は自分のもの」と勘違いしているから』
だそうなんですね。
その一方で、『ありがとうございます』と言って、ちゃんと受け取る人が、
『謙虚な人』
であると。
『えっ? それって逆じゃないの?』
と思うかもしれませんが、それはこういう事です。
そもそも、お金の、『持ち主』とは、一体、誰なのでしょうか?
それは、
神様だったり、宇宙だったり、全人類だったり、地球だったり、
と、様々。
もしかすると、
『何を言ってるの!』
『宇宙が、お金を持ってるわけないじゃん!』
『地球が、お金を使うなんておかしい!』
と思うかもしれません。
が、実のところ、お金の持ち主は自分ではなく、紛れもなく、
『上記の方々』
なんです。
だから、
『ありがとうございます』
『預からせて頂きます』
というのが正しい。
お金は、『自分のもの』ではない。
ただ、
『通り過ぎて行くだけ』
にすぎない。
『金は天下の回り物』
と言うじゃないですか。
頼まれごとに対して金額を提示された時は、
『ありがとうございます』
といって頭を下げ、そして、
『どのようにお金を使うか』
を考えて生きて行く。
そうすれば、それは、
『生きたお金』
になるということです。
話は変わりますが、江戸時代に、池大雅(いけのたいが)という文人画家がいました。
(※↑池大雅)
この人は、京都の東山に住んでいたのですが、
『頼まれた絵を1枚も断ったことがなく、全部描いた』
そうです。
絵を頼んだ人は、絵が描き終わると取りに来る。
そして、『ありがとうございます』と言って、玄関先に吊り下げられた、『ざる』の中にお金を入れて帰ったとのこと。
何より、驚くべきは、その絵の代金として、お客様が幾ら払ったのか、池大雅(と奥様)はまったく知らなかったそうなんですね。
いっぽう、池大雅夫妻が味噌、お米、醤油の配達を商人に頼むと、彼らは帰りがけに、『ざる』の中から代金を持って行ったそうで。
『お金というものは、ただ、通り過ぎて行くだけにすぎない』
この話を知った時、私は大きな衝撃を受けたことをよく覚えています。
『どうしたら売上が上がるのか』
『どうしたら利益が確保出来るのか』
を考えるのではなく、
『どうしたら喜ばれる存在になれるか』
だけを考えるようにしたら、お金の入り方は確実に変わって来る。
どうやら、神様は、
『喜ばれる存在になろう』
と決めた人を、放ってはおかないようです。