『初めてのコンクール』
小学4年生のとき、はじめてピアノのコンクールに出た。
曲目は「日曜日のソナチネ」だった気がする。
出番の前に控え室でゲームをやっていて、母に怒られた。
結果は1次予選落ち。
母はすごくがっかりしていたが、自分はケロリとしていたのを覚えている。
『転機』
小学6年生になった5月のある日、両親が話があるとのこと。
正座で座る両親を前に、何だろうとドキドキしながら正座した。
普段は無口な父が、少しの沈黙の後、口をひらいた。
「げんが野球好きなのはわかる。だけど、残念ながら、げんには野球の才能は無いと思う。
だけど、お父さんもお母さんも、げんに音楽の才能はあると思う。」
続いて母。
「(個人レッスンの)板東先生も、げんくんは音楽の才能があるから、もっと厳しい環境になったらきっと花開くと思う、って言ってくださってるんよ。I先生という厳しい先生に習ってみない?
野球部辞めて、ピアノがんばってみない?」
野球の才能が無いと言われたのはショックだったが、確かに全く試合にも出してもらえないし、部活の人間関係も辛かった。
それ以上に、両親やピアノの先生から、「音楽の才能がある」と言われたのが嬉しかった。
自分でもびっくりするくらいの即答で、「わかった。」と言った。
恐いとうわさのI先生に習えることが、何故かワクワク楽しみだった。
『I先生』
何故I先生だけイニシャルなんだろうと、自分でも不思議に思う。
きっと、I先生がどれだけ厳しく、恐かったかを書くから、先生に許可なくお名前を書けないのだろう。
うわさ以上にI先生は恐かった。
いつも怒鳴られ、怒られていた。
自分のレッスンの前の女の子は、いつも泣いていた。
I先生の門下生には、厳しい決まりごとがあった。
それは1日の最低練習時間。
小学1年生は1時間、2年生は2時間というふうに、学年の数字の時間を練習することが義務づけられていた。
なので僕はいきなり毎日6時間の練習が始まった。
ちなみに中学1年生は7時間、高校3年生は12時間になる。
はじめは有り得ない!と思ったが、休みの日は高校3年まで、その時間を練習した。
学校のある日も、最低6~10時間は弾いた。
レッスンはすごく厳しかったが、どんどん自分が上手になっていくのが、嬉しかった。
そして6年生のコンクールで、いきなり徳島県2位、四国で3位になれた。
2年前、中学年の部で一次予選落ちだったので、これはすごく嬉しく励みになった。
振り返れば、ここから半ノイローゼのようなピアノ漬けの時期だけど、たぶん同年代で、自分より練習をした人はいないと言いきれるくらい、練習した。
I先生はいつも怒るので(当時は)好きじゃなかったが、今では心から感謝している。
そして習わせてくれた両親にも。
音楽に没頭する時間は、心地よかった。
『中学校の思い出』に続きます。
読んでくださり、本当にありがとうございます(^人^)