10.【 四代目酒井孫兵衛 】


Historyシリーズも10回目となりました。

三代目孫兵衛が再興した専業石工業でしたが、

四代目( 幼名・半十、1865年没 )で、

いよいよ弟子をとることになったそうです。


幾人かの人材を育てて独立させ、

酒井一門ともいえる門流を形成したとあります。


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さて、

石田家もいよいよ祖父( 初代石田観仙 )の話

に入っていきます。

曾祖父・伴作は妻・さだ( 1879年生まれ )をもらい、

長女・キミヨを授かる。

そして、明治44年には、

長男、後の初代石田観仙となる祖父の淳一郎が生まれました。

遠州灘と呼ばれるところで、

日出の石門から浜名湖まで

十三里( 約52km )にわたって続く

雄大な砂浜の途中にある田舎町、

小松原町。

淳一郎は、

生まれ故郷である小松原海岸の

荒々しい海が大好きでした。

酒ばかり飲んで荒れていた父・伴作を見て育ち、

家は貧しく地元では仕事もない。
なんとかしなくてはと思っていた少年時代。

どこで聞いたか分かりませんが、

岡崎の成瀬大吉という方のもとで、

石彫刻を学ぶことを決意。

石田家が岡崎の地に住むことになり、

石彫を家業とすることになるきっかけを掴みます。


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画像は、祖父の好きな小松原海岸です。

子供の頃、

一度だけ祖父と電車に乗り、

海沿いの町、小松原へ行ったことがあります。

祖父は孫の僕を本当に可愛がってくれました。

僕はお爺ちゃん子だったんです。

「 たまに小松原の海が見たくなるよ。あの荒々しい海がな。 」

そんな言葉を聞いたことも2.3回あった。
晩年どうして連れて行ってあげなかったのか。

若い頃は、自分のことで精一杯だったこともある。
それにしても愛が足りなかった自分が情けない。

それでも、祖父と僕の繋がりは深かった。

後に僕は祖父と約束をして、

ここに生まれてきたことを思い出す。

時折、

僕は祖父の好きだった小松原海岸へ行きたくなる。

 

 

 

 

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