9.【 三代目酒井孫兵衛 】


初代孫兵衛没後、約百五十年。
酒井家は再び石工業を専業としたのか、

それが酒井家代々の悲願であったのかは分かりませんが、
ここからまた酒井家のストーリーが始まります。

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さて、石田家の続きです。

江戸時代は、徳川の庇護を受け高家となった今川家。
その今川との繋がりが深い石田家でしたが、

明治に入り状況は一変します。

武士は必要ない時代。
今川家は維新後、士族となりましたが、

明治二十年に今川範叙の死をもって嫡流が絶えました。
 

彌八が43歳の時。
てるは31歳。
伴作はまだ8歳の時でした。
 

高祖父の父・猫吉も亡くなる二年前・75歳で存命でした。

彌八も苦しい時期だったと思います。
それなりの武士一族として過ごしてきた環境が

維新により一変したわけです。

伴作ともあまり関係が良くなかったと思うんです。
外から入ってきた人間で、

血も繋がっていませんし、時代の激動期。

おそらく代々、気位の高い石田家に、

外から入ってきて馴染めるはずもなかったのかもしれません。

祖父・淳一郎( 1911ー1996 )は

伴作と共に愛知県豊橋市小松原町に住んでいましたが、

彌八もそこに住んでいたかは定かではありません。


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画像の胸像の下にあるのは、大理石です。

僕が小さい時ですが、

まだ日本で大理石彫刻をする方は

ほとんどいなかったと思います。

 

 

 

 

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