5.【 岡崎石工はもっと古くからいた 】


実は先日、

月間石材という本を見せていただきました。
これまたシンクロで、

泉州石工と石都岡崎の関係が書いてありました。

そこには、

田中吉政が入る前の

永禄年間(1558〜1569)の頃には

既に石魂をもって生活の道としていた人達が

住んでいたとありました。

そして、それより前の戦国の世、

築城全盛の頃、

享徳元年(1452)、岡崎城が築かれた時、

《 西郷稠頼(つぎより) 》が

泉州岸和田の石工を招き従事させたとあります。

なるほど。
田中吉政が入る前にも、

小さかったにせよ岡崎城はあったわけです。
農民が野面積みで施工したくらいかと思っていましたが、

石工が全くいなかったわけではなかったんですね。
そこでも泉州との繋がりは大きかったようです。

同誌は

「 いずれにしても、

田中吉政の城と城下町工事が

岡崎石工業発展の起源であることは間違いない。」

とも書かれています。

吉政の時代に石工の数を一気に増やしただけでなく、

より技術の優れた者を集めたんでしょう。

そして、

後年それ以上の天才・酒井孫兵衛を招き入れる。

それこそが石都岡崎の基である。

今回、書き始めたことで、

また知らなかったことが分かりはじめました。

もちろん僕なんかより詳しい方も沢山いらっしゃるでしょう。

そんな無知な僕のhistory話にお付き合い下さり恐縮です。

間違いがあれば素直に訂正しますし、

氣がついたことがあれば、

ご教授賜りたいので宜しくお願い致します🙇‍♂️

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さて、我が家の話の続きです。
猫吉とふでには長男・彌八( 1844年ー1911年 )が生まれます。
その彌ハの代で家系に大きな変化が生まれます。
話が長くなりましたので、今日はこの辺で。

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画像は、今年1月22日の岡崎城。
7分のプロジェクションマッピングの一部です。
この後、花火も上がりました。
今年の岡崎は大河ドラマの影響で熱いです。

 

 

 

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