なまぐさ坊主
私は日本のお坊さんを聖職者だと思っていません。
彼ら(彼女ら)は職業として僧侶になっているだけでその目的はお金稼ぎ。
世の為人の為に僧侶になったというよりは職業として選んでいる。
昔は学校の先生なんかも特別視されていた節がありますが今はどうでしょう?
犯罪の報道が多い事も原因かもしれませんが、今は聖職者として見られているでしょうか?
このままいけばというか、年代によっては既に宗教者の事を聖職者だと思っている人はかなり減っているのではないでしょうか。
原因は言わずもがな宗教者にあると思います。
少なくても私の知っている宗教者今回の内容では仏教に限りますが半数以上、9割以上が平均世帯よりも良い生活をしています。
車などの所有物に関してもそうですし、月収に関してもそうですし、住んでいる所に関してもそうです。
しかもそれらが一応の形ではありますが、寄付で成り立っているという所が反感を買っているのでないでしょうか。
お布施等の宗教者に支払われるお金は彼らの言い分では支払いではなく納める物らしいです。
あくまでも宗教者から要求する物ではなく、支払う側が自発的に行う物。
ただ個人的に思うのが納めたくないないのであれば納めなくてもよいという形の自発的ではなく、支払うのが嫌なら利用しなければ良いという点。
正直これじゃあ他の商売と一体なんの違いがあるのかわからない。
一時期話題になった嫌なら見るなと言った某テレビ局と変わらない。
私の考え方が宗教者に求め過ぎなのかもしれませんが、聖職者であるのならば求められているのならばある程度融通って効かないんですかね?
それこそ最近ではお布施が高額過ぎるという声は現場では9割がたの式場で聞きます。
どれだけ葬儀の現場が、規模が小さくなってもお坊さんが要求するお布施は小さくはなりません。
なんなら最近では○○万円以下のお布施なら行きませんとか意味の分からない事を言いだす坊主までいます。
おかしな事ですよねぇ?
お布施って寄付だと声明を出してお坊さん便を辞めろと言い出したのはお坊さん側じゃないんですかね?
寄付って言っても一口○○万円からって事でしょうか?
しかもその寄付の対価としてお葬式で儀式を執り行ってくれると?
それって寄付って言うんですか?
儀式をしてくれるから対価として寄付をした。
これならまだギリギリですけど意味はわかるんです。
これが逆になったらそれはもう商売ですよね。
国もいつまでこれを認めるんですかね。
宗教活動には介入はしてはいけないとは思うんです。
しかし税金を取るくらいはしても良いと思います。
宗教がらみの事件というのも少なくないですし、聖職者としての宗教者で無いのであればそれはもうただの思想家じゃないですかね。
一部の人のせいでそうなっていると言い難い今の状況があると思います。
私の知っているお坊さんのほぼ全てと言って良い人たちが車は外車ですし、バイクに関しても2台も3台も持っていますし、人によっては外車はプライベート用で車庫に隠しておいて仕事用に軽自動車などの2台持ちとかもしています。
普通に働いているサラリーマンはなかなか外車ともう一台とか持てませんよ。
個人事業主にしてもそうで、お坊さんなんかは夫婦でやってる所が多いのでそれと一緒だと考えても外車ともう一台持ってる夫婦でやってる個人事業主なんてなかなかいないですよ。
車だけならまだ居るかもしれませんが、そこに広大な敷地と馬鹿でかい寺がありますしそれと同等の物を夫婦二人だけで維持管理・購入出来る個人事業主なんているんですかね?
そこから既に感覚がずれているとは思わないのでしょうか。
それをいくら非課税だと言っても維持管理に貢献してくれている信徒さん達に少しでも感謝した事ってあるんでしょうか。
先生と呼ばれる事に優越感を感じるだけならまだしも、自分本位に上から見下すような態度であったりと一体どういった立ち位置なんでしょう。
生きていくにはお金が必要なのは今の世の中では仕方のない話しです。
しかし宗教者として人の死に関わっているのであれば、自分達の宗教でよく語っている執着といった物はせめて葬儀の時くらいは捨ててくれませんかね。