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関西の葬儀の闇

関西地方の葬儀業界の闇をご紹介!

葬儀社の技術ってなに?


今や葬儀社に入社しようとすると皆さんが知っているような葬儀社さんは新卒なら大卒以上、しかもそこそこの大学の出身であることが求められます。

それこそ一昔前であれば葬儀社といわず、葬儀業界のどこかに所属しようと思ったら誰でも就職する事が出来ました。
それこそ中卒でもなれる業界でした。

その理由と言うのは誰でも出来る仕事だから。
ではなく、かなりの大多数の人から敬遠される職種だったからです。

無宗教国家ともいえるほど特定の宗教を熱心に信仰しない人が大多数を占めている国民性ですが、やはりそんな国でも死というのはなんとなくですが嫌がられる物だからです。

人によって印象はバラバラですが、よく言われる負のイメージとしては

①人の死を商売にしている
②人の死に携わる事が禁忌

この二つはかなりの人が感じている事ではないでしょうか。

故人の尊厳を守りつつ、遺族の気持ちをしっかりくみ取り正しく最期を送る。
これが出来て初めて葬儀社として技術があると言えると思います。

葬儀に携わる人全てがその心を持てれば一番いいのですが、そうも言ってられないのでせめて葬儀の施工担当者となる人はこの気持ちを持っていないとダメだと思います。

しかし最近の葬儀はどうでしょうか。

先日も書きましたがよくTV番組でやっている葬儀マナーなんてほぼ全てがでたらめです。
そんな人がエンディングコンサルタントとか肩書を語ってるんですからお里が知れてます。
しかもそんな人が葬儀関係の一般社団法人の理事長とか務めてるんだからお笑いでしかありません。

そもそも全葬連なり仏教会なりが抗議の文章を出すべきなんですよね。
よくよく考えなくてもあの人はそもそもエンディングコンサルタントであって、葬儀のプロですらない。
というか葬儀に関係すらないんです。
あの人達は所謂 終活 の専門家であって 葬儀 の専門家ではない。
エンディングコンサルタントって読んで字の如く死に方を考える方であって、死んだあとの葬儀をコンサルする人ではないんです。
だからそもそもあの人が葬儀のマナーを語っている事自体がおかしい。


じゃあなぜ全葬連が抗議の文章を出さないかと言うと、そもそも出せないんです。
と言うのも全葬連はいわゆる葬儀社側の組合です。
しかし葬儀社のスタンスはあくまでも葬儀の準備をしている会社であって、葬儀をしている会社ではないんです。

なので葬儀社側が葬儀とはこうあるべきだとは言えないんです。
葬儀社側の考えでは葬儀についてあれこれ口を出すべきは仏教会だと考えています。

じゃあ仏教会は何故口を出さないのか。
彼らは葬儀の際はうるさいです。
なぜなら葬儀は僧侶が行う儀式だから。
しかし告別式の部分に関してはあまり口を出してきません。
告別式についてあれこれ口を出すべきは葬儀社側だと考えています。


じゃあこの葬儀と告別式って何が違うの?

となると葬儀は儀式的な部分です。
簡単に言っちゃうと大体が焼香する直前までの部分だと思ってくれたら良いです。(かなり説明を端折ってますが。)

告別式は弔電を読んだり焼香をしたりといった部分だと思ってくれたら良いです。


大昔は葬儀と告別式は別個で行われていましたが、今は葬儀と告別式を纏めて行います。
今でもたまーに厳しいお寺さんとかだと導師が退席した後じゃないと焼香をしてはダメというお坊さんもいらっしゃります。


こう考えて貰ったらわかるように、焼香のマナーの部分や一礼がどうのこうのという部分は葬儀社側がやる物なんです。
だってその部分は告別式だから。


長々と書きましたが、葬儀と告別式をいっしょくたにしだした頃から仏教形式の葬儀が破滅に近づいていったんだと思います。
どんな物でもそうですが、境界線を曖昧にしてしまうと全てがダメになります。
上手に融合出来たかに今までは思えていたのかもしれませんが、その思い上がりの結果が今です。

お坊さんのお布施が高いと思ってしまうのは葬儀の儀式としての価値を告別式と同じにしてしまったから。

家族葬だの火葬式だのと変わって行ったのは告別式を儀式と混同してお高くとまってしまった反動。

高級路線で勝負を掛けようとしている葬儀社もちらほら見受けられますが、何一つ葬儀の歴史を勉強していない。
高級というのは一流の道具を使う以前に一流の知識の元に作られなければ意味が無い。

今の葬儀業界は一流の食材に三流のシェフが手を加えているだけの、見せかけだけの誰でも美味しく作れる状態です。

葬儀屋同士で足引っ張りあうのそろそろ辞めて自分の事を見つめ直したらいかがでしょうか?