関西の国宝建造物と国宝彫刻(仏像)のすべて

関西の国宝建造物と国宝彫刻(仏像)のすべて

関西は国宝建造物と国宝彫刻(仏像)の宝庫です。私がこれまで訪れたそのすべてをご紹介していきます。現在頑張って制作中です

国宝 金剛輪寺本堂(こんごうりんじほんどう)

室町前期 1333-1392年

桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、檜皮葺

 

入母屋造、檜皮葺の和様仏堂で、中世天台仏堂の代表作として国宝に指定されている。桁行(間口)、梁間(奥行)とも7間(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す建築用語)。須弥壇の金具に弘安11年(1288年)の銘があり、元寇の戦勝記念として近江守護佐々木頼綱(六角頼綱)によって建てられたといわれるが、本堂の建築様式・技法は鎌倉時代まではさかのぼらず、南北朝時代の建立とみられ、前述の金具は前身堂のものとみられる。1988年昭和63年)の屋根葺替え修理の際の調査の所見でも、須弥壇の年代は金具銘の弘安11年(1288年)まではさかのぼらないとしている。梁間7間のうち、手前の3間分を礼堂(らいどう)とし、その奥の梁間2間分を内陣、もっとも奥の梁間2間分を後戸(うしろど)とする。後戸は左右端の桁行各1間分を区切って堂蔵(どうぐら)とする。向拝は設けず、縁は正面と側面の礼堂部分にのみ設ける。堂の背面中央には3間分の張出があり、この部分は閼伽棚(仏前に供養する水や花の置き場)となっている。礼堂内には正面と側面に入側柱(建物外周より一筋内側に立つ柱)が立つが、これらの柱は太く豪壮で、側柱(建物外周の柱)の4割増しの太さがある。組物は出組(柱筋から肘木を1段持ち出した形式)、中備(なかぞなえ)は間斗束(けんとづか)とする。様式は和様を基調とし、正面柱間をすべて蔀戸にするのは和様の特色であるが、内部の組物の拳鼻などに禅宗様の要素がみられ、拳鼻の彫刻の様式も、本建物を南北朝時代の建立と判定する要素の一つである。本尊を安置する厨子は建築的細部をもつもので、入母屋造、檜皮葺きとする。この厨子は建物と同時期の作とみられ、本堂の「附」(つけたり)として国宝に指定されている。

本尊の聖観音立像は、行基が一刀三礼で制作した「生身(なまみ)の観音」と呼ばれる像で他の多くの天台寺院の本尊と同様、秘仏である。この像は一見、未完成像かと思われるほど、体部の彫りが荒々しく、平安時代後期の鉈彫像の系譜に属するものとみられる。

 

金剛輪寺(こんごうりんじ)は、滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺にある天台宗寺院山号は松峯山(しょうほうざん)。本尊聖観音菩薩(秘仏)。地名から松尾寺ともいう。開創は行基とされる。西明寺百済寺(ひゃくさいじ)とともに湖東三山の1つに数えられる。現在は「血染めのもみじ」と呼ばれる有名な紅葉の名所となっている。

ウィキペディアより

 

 

東京オリンピックには世界に誇れる日本の建造物の一つとして文部省が十分の一の精巧な模型をつくり上野の博物館に展示されました。言わば「オリンピック選手」であります。

とホームページに書かれています。

私好みの檜皮葺で歴史を感じさせる色合いの本堂です。

本堂にたどり着くまでの坂道には千体地蔵が祀られています。

それはそれは圧巻で、坂道を登るつらさを軽減してくれますよ。

 

金剛輪寺のその他のみどころは

金剛輪寺三重塔

金剛輪寺二天門

千体地蔵

 

拝観

 

拝観時間

 

午前8時半~午後4時半

 

拝観料

 

800円

 

所在地

 

〒529-1202 

滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺874

 

TEL 0749-37-3211

 

駐車場 あります 無料

 

アクセス

 

電車・バス

※JR稲枝(いなえ)駅よりタクシーで15分。

 

 

 

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関西の国宝彫刻(仏像)一覧

 

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国宝 大報恩寺本堂

 

鎌倉前期1227年

桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺

 

 入母屋造檜皮葺。桁行(正面)五間、梁行(側面)六間で、正面に一間の向拝を設ける(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を指す)。安貞元年(1227年)の上棟。京都市内では数少ない中世建築で、洛中では現存最古の建物である。堂正面は五間とも戸を構え、側面は手前の一間を両開戸、次の間を蔀戸、後寄りの四間を引違い戸とする。平面構成は、方三間の内陣の前方に梁間二間の庇(外陣)を付け、内陣の側面と背面には一間幅の庇を付す。内陣は中央の方一間を四天柱で囲まれた内々陣とし、ここに須弥壇を設け、本尊の釈迦如来坐像を安置する厨子を置く。一般的な密教仏堂の平面と異なり、本尊の周囲を行道できる常行堂系の平面となっている。

 

大報恩寺(だいほうおんじ)は、京都市上京区にある真言宗智山派寺院山号は瑞応山(ずいおうざん)。本尊釈迦如来千本釈迦堂と通称される。霊宝殿は新西国三十三箇所第16番札所で本尊は六観音である。おかめの物語や、12月の風物詩である大根焚きで知られる。また、智積院能化の隠居所として護持された。

ウィキペディアより

 

大報恩寺というよりは千本釈迦堂の方が京都ではなじみが深いこのお寺です。

洛中では最も古い建造物として国宝に指定されています。

おかめさんの悲しい物語でも有名で、堂内におかめ人形展も催されたりしています。

令和6年新たに木造六観音像 6躯が国宝に指定されるので、今回久しぶりに拝観しました。

堂々とした本堂で檜皮葺の屋根が大変きれいです。

 

向拝も雄大で素晴らしい本堂です

 

大報恩寺その他のみどころは

 

北野経王堂

 

霊宝殿

 

おかめ像

 

拝観

 

拝観時間

 

午前9時~午後5時

 

拝観料

 

霊宝殿および本堂拝観

大人 600円 大学生・高校生 500円 中学生以下 400円

 

境内自由

 

所在地

 

〒602-8319 

京都府京都市上京区今出川通七本松上ル溝前町

 

TEL 075-461-5973

 

駐車場 あります 無料

 

アクセス

 

​​​​​​電車・バス

※京都駅から京都市営バス50号系統「上七軒」下車

※四条河原町から京都市営バス10, 203号系統「上七軒」下車

※京阪三条から京都市営バス10号系統「上七軒」下車

 

 

 

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国宝 北野天満宮本殿、石の間、拝殿及び楽の間

 

桃山時代1607年

本殿 桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、右側面三間庇付、檜皮葺
石の間 桁行三間、梁間一間、一重、両下造、檜皮葺
拝殿 桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝七間、
軒唐破風付、檜皮葺
楽の間 東西各桁行正面二間、背面三間、梁間二間、一重、一端入母屋造、
他端拝殿に接続、檜皮葺

 

慶長12年(1607年)に豊臣秀頼片桐且元を奉行として再建。入母屋造の本殿と、同じく入母屋造の拝殿の間を「石の間」で接続して1棟とする、八幡造権現造のもと)の社殿である。当神社の場合は拝殿の左右に「楽の間」が接続して複雑な屋根構成となる。その事から「八棟造」とも呼ばれる。屋根はすべて檜皮葺き。本殿、石の間、拝殿、楽の間を合わせて1棟としており、国宝に指定されている。

 

北野天満宮(きたのてんまんぐう、: Kitano-Tenmangu Shrine)は、京都市上京区にある神社二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社。旧称は北野神社神紋は「星梅鉢紋」。

通称として天神さん北野さんとも呼ばれる。福岡県太宰府市太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、当社から全国各地に勧請が行われている。近年は学問の神として多くの受験生から信仰されている。

ウィキペディアより

 

学問の神様菅原道真を主祭神とする北野天満宮。

とても複雑な構造のたてものです。

上記画像は拝殿です。

お参りの際、ぜひこの建物を一周してもらいたいです。

どこから見てもとにかくかっこいい。

そんな北野の天神さんです。

 

本殿

拝殿(右)と本殿(左)をつなぐ石の間

拝殿及び楽の間

 

北野天満宮のその他のみどころは

北野天満宮楼門

北野天満宮中門(三光門)

北野天満宮一の鳥居

 

拝観

 

拝観時間

 

午前7時~午後5時

 

拝観料

 

境内自由

 

所在地

 

〒602-8386 京都市上京区馬喰町

TEL 075-461-0005

 

北野天満宮HP

 

アクセス

 

​​​​​​電車・バス

※京都市営バス(10・50・51・55・急行101・急行102・203系統)で「北野天満宮前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)

※北門からほど近く、桜の名所でもある平野神社の境内を通って西大路通の「衣笠校前」バス停に抜けることもできる。

※京福電気鉄道北野線 北野白梅町駅下車 東へ徒歩6分

 

 

 

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国宝 慈照寺東求堂(じしょうじとうぐどう)

室町後期1486年

桁行6.9m、梁間6.9m、一重、入母屋造、檜皮葺

 

東求堂(とうぐどう)は一重入母屋造檜皮葺で、文明18年(1486年)の建立である。軒は疎垂木組物は舟肘木を用いる。義政の持仏堂として建立されたものであるが、様式的には住宅建築の要素が強い。

平面は正方形で、東西南北の各面とも6.9メートル、三間半四方の規模である(ここで言う「間」は畳の長辺の長さ)。南を正面とし、内部は4室に分かれる。正面側は西(向かって左)を8畳大の仏間、東を縦4畳の室とする。奥側は西が6畳、東が「同仁斎」と呼ばれる4畳半の書斎である。仏間は床を板敷、天井を折上小組格天井とする。他の3室は畳敷で天井は棹縁天井とし、室境はいずれもとする。

仏間は正面奥に須弥壇を設け、阿弥陀如来立像を安置。西側は襖の奥に位牌棚を設け、南寄りに法体の足利義政像を安置する。仏間の襖は現在は白紙が貼られているが、当初は狩野正信筆の十僧図があった。東求堂の西側外面、仏間の外にあたる位置では外壁の一部が床の間状に後退し、その部分が縁に面した腰掛になっている。これは昭和39年 - 40年(1964年 - 1965年)の解体修理時に復元したものである。『蔭涼軒日録』に「西向きの床」と記されていたものがこの腰掛にあたる。仏間正面は中央間を桟唐戸両開き、その両脇を連子窓に腰板壁とするが、それ以外の堂の外面は舞良戸か壁とする。

東北に位置する4畳半(同仁斎)は、北面の左側に半間幅の違棚、その右に一間幅の書院(出文机)を設ける。棚と書院は回縁に張り出す形で設けられ、書院部分の外側は舞良戸、内側は明障子とする。この棚と書院はこの種の座敷飾りとしては現存最古のもので、床の間、違棚、付書院という座敷飾りが定型化する以前の、書院造の源流といえるものである。

解体修理時に同仁斎の部材から「いろりの間」の墨書が見つかっており、当初は室内に炉が切られ、茶を点てていたとみられる。 茶道史では江戸時代以来、同仁斎は四畳半茶室の始まりと伝えられており、堀口捨己は『君台観左右帳記』に描写される同仁斎の座敷飾りを論拠として義政時代の同仁斎茶室説を支持している。

「東求堂」と「同仁斎」の名は義政の命で横川景三(おうせんけいさん)が撰した候補のなかから義政が選んだもので、「東求堂」は「東方の人、念じて西方に生ずるを求む」(六祖壇経)、「同仁斎」は「聖人は一視して同仁」(韓愈)を出典とする。

扁額「東求堂」は足利義政の筆、扁額「隔簾」は相国寺派5代管長大津櫪堂の筆である。

現在の東求堂は方丈の東側に建つが、当初はもう少し銀閣寄り、現在「向月台」と呼ぶ砂盛のあるあたりに建っていたと推測されている。

 

慈照寺(じしょうじ)は、日本京都市左京区銀閣寺町にある臨済宗相国寺派寺院大本山相国寺の境外塔頭山号は東山(とうざん)。本尊釈迦如来。観音殿(銀閣)から別名、銀閣寺(ぎんかくじ)として知られている。正式には、東山慈照禅寺(とうざんじしょうぜんじ)と号する。開基(創立者)は足利義政開山夢窓疎石とされているが、夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物であり、勧請開山である。

古都京都の文化財」の一部としてユネスコ世界遺産に登録されている。銀閣は、金閣飛雲閣西本願寺境内)とあわせて京の三閣と呼ばれる。

ウィキペディアより

 

東求堂の同仁斎は書院造、四畳半茶室のはじまりと言われています。

東求堂は春と秋の特別拝観の時しか入ることは出来ません。

HP等でよく調べてから行きましょう。

 

慈照寺のその他のみどころは

 

国宝 慈照寺銀閣

向月台

銀沙灘

銀閣寺垣

東求堂と庭園

 

慈照寺の庭園は国の特別史跡・特別名勝に指定されています。

建物と庭を四季折々楽しめる慈照寺です。

 

拝観

 

拝観時間

 

夏季 (3月1日〜11月30日) 午前8時30分〜午後5時
冬季 (12月1日〜2月末日) 午前9時~午後4時30分

 

拝観料

 

高校生以上 500円

小・中学生 300円

小学生まで 無料

 

所在地

 

〒606-8402 京都府京都市左京区銀閣寺町2

TEL 075-771-5725

 

慈照寺HP

 

アクセス

 

電車・バス

※「銀閣寺前」(京都市営バス32・急行100号系統)下車徒歩6分、「銀閣寺道」(京都市営バス5・17・32・急行100・急行102・203・204号系統、京都バス18・51・56系統、京阪バス56・56A系統)下車徒歩10分。

 

 

 

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国宝 慈照寺銀閣(じしょうじぎんかく)

 

室町中期1489年

東面及び西面8.2m、北面7.0m、南面5.9m、二重、宝形造、こけら葺

 

慈照寺観音殿(以下「銀閣」と表記)の建築形式、間取り等については以下のとおりである。銀閣は木造2階建ての楼閣建築で、慈照寺境内、錦鏡池(きんきょうち)の畔に東面して建つ。長享3年(1489年)の上棟である。屋根は宝形造杮葺で、屋頂に鳳凰を置く。ただし、古記録や名所図会によれば、18世紀後半頃までは鳳凰ではなく宝珠が置かれていた。

鹿苑寺舎利殿(金閣)が文字通り金箔を貼った建物であるのに対し、銀閣には銀箔は貼られておらず、貼られていた痕跡もない。これには色々な説がある。上層は当初は内外とも黒漆塗であった。初層の平面規模は東面および西面が8.2メートル、北面が7.0メートル、南面が5.9メートルである(西面の北寄りに勝手口が突出しているため、北面は南面より1メートルほど長くなっている)

初層は「心空殿」と称し、住宅風の造りになる。初層東側には落縁が設けられ、も二軒(ふたのき)となり、こちら側が正面であることを示している。初層の南半部(正面から見て左側)は、手前を4大の吹き放しの広縁とし、その奥を8畳大の仏間とする。仏間は板敷で、天井は吹き寄せ格天井とする。初層の北半部は手前が畳敷の6畳、その奥は3畳大の板敷の小室が南北に並ぶ。このうち北側の室には上層への階段と勝手口、南側の室には押入がある。階段は上層の北側の回縁に通じている。なお、この3畳間2室は部屋としての役割が曖昧であるうえに後世の改造の痕跡があり、当初とは間取りや階段の位置が異なっているとみられる。

初層の外周は、南面と西面は腰壁入りの障子窓とし、北面は東半部が腰壁入りの障子窓、西半部は土壁とする。仏間正面と6畳間正面は腰高障子を入れ、広縁・6畳境は杉戸を用いる。上層は「潮音閣」と称し、初層とは異なって禅宗様の仏堂風に造る。柱間は東西南北とも3間で、内部は仕切りのない1室で観音菩薩坐像を安置し、四周に縁と高欄をめぐらす。創建当初の上層は内外とも黒漆塗で、軒下には彩色があったことが痕跡から判明している。

鹿苑寺金閣の三層が東西南北とも同形式で、柱間も等間隔に割り付けているのに対し、銀閣の上層は東面と西面のみ形式が同一で、南面と北面は異なっている。金閣の三層は4面の中央に戸を設けるが、銀閣の上層は南面と北面のみに桟唐戸を設ける。上層南面は中央間を桟唐戸、両脇間を花頭窓とする。北面は中央間が桟唐戸、両脇間は窓がなく板壁である。東面と西面には出入口はなく、3間とも花頭窓とする。柱間寸法は、東面と西面が3間を等間隔に割り付けるのに対し、南面と北面は戸の立つ中央間を両脇間より広く取る。東面と西面は、桁を支える主要柱の外側に張り出しを設けており、そのため、回縁は東側と西側において幅が狭くなっている。前述の花頭窓はこの張り出し部に設けられている。東西の張り出し部は、室内では造り付けの腰掛となっている。

二層内部は板敷、格天井の1室で、西寄りに須弥壇を置き、観音菩薩坐像(洞中観音)を東向きに安置する。上層の建築様式は禅宗様を基調とするが、縁の高欄は和様の刎高欄である。初層は東を正面とし、上層の観音菩薩像も東向きに安置されているが、上層では南面と北面のみに戸があり、正面にあたる東面には出入口がない。以上のような上層の状況をみれば、上層は桟唐戸のある南面が正面とみなされ、当初は銀閣の南側に池があり、池を挟んで南側から観音像を拝する形であったと推定されている。銀閣はこのような変則的な形式をもつことに加え、部材にみる改造の痕跡から、かつて別の場所に建てられていたものが移築改造されたものである、とする説もある。ただし、平成21年(2009年)に行われた発掘調査によって、現・銀閣の下で室町時代の整地層と石列が確認され、銀閣は創建時の位置から移動していない可能性があるとの調査結果が公表された。

金閣になぞらえて慈照寺観音殿が銀閣と呼ばれるようになったのは江戸時代以降のことである。万治元年(1658年)に刊行された『洛陽名所集』などの文献に「銀閣寺」の名前が見られる。

金閣と通称される鹿苑寺舎利殿には金箔が貼り付けられているのに対し、銀閣と通称される慈照寺観音殿には外壁に黒漆は塗られているが銀箔は使用されていない。「当初は名前のとおり銀箔を貼る予定だったが、幕府の財政事情のためにできなかった」という説や、「銀箔を貼る予定であったが、その前に義政が他界してしまった」という説、「外壁の漆が日光の加減で銀色に輝いて見えたから」という説がある。また、「当初は銀で覆われていたが、剥がれ落ちてしまった」という説[16]もあったが、平成19年(2007年1月5日に行われた科学的調査によって創建当時から銀箔が貼られていなかったことが明らかになっている。ちなみに、義政の妻・日野富子は資金援助を一切しなかったともいわれている。

屋根は約30年ごとに葺き替えられている。平成20年(2008年)2月から平成22年(2010年)3月まで、杮葺の屋根の葺き替えや柱や壁など傷んだ部材の交換、耐震補強、2階の潮音閣内部に黒漆を塗るといった、大正初期以来の大規模な修復作業が行われた。

修復に際し、京都府教育委員会は老朽化を防ぐために銀閣の外壁に黒漆を塗り創建当時の姿に戻すことを提案したが、所有者である慈照寺の意向により現在の外観を維持する方針で修理が行われることになった。また、工事と同時に調査も実施され、1階の「心空殿」からは創建当時のものとみられる仏像を安置するための「仏間構え」の痕跡や、2階の外壁の軒下部分からは花などの模様をかたどった赤や青に彩色された跡も見つかった。総事業費は約1億4000万円。修復終了後の平成22年(2010年)4月12日住職有馬頼底らによって落慶法要が営まれた。

 

慈照寺(じしょうじ)は、日本京都市左京区銀閣寺町にある臨済宗相国寺派寺院大本山相国寺の境外塔頭山号は東山(とうざん)。本尊釈迦如来。観音殿(銀閣)から別名、銀閣寺(ぎんかくじ)として知られている。正式には、東山慈照禅寺(とうざんじしょうぜんじ)と号する。開基(創立者)は足利義政開山夢窓疎石とされているが、夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物であり、勧請開山である。

古都京都の文化財」の一部としてユネスコ世界遺産に登録されている。銀閣は、金閣飛雲閣西本願寺境内)とあわせて京の三閣と呼ばれる。

ウィキペディアより

 

同じく相国寺の塔頭金閣と並んであまりにも有名な銀閣です。

きらびやかな金閣とは相反して詫び錆を感じる銀閣。

私は銀閣を訪れる時必ず金閣も訪れるようにしています。

 

東正面の俯瞰

 

慈照寺のその他のみどころは

 

国宝 慈照寺東求堂

向月台

銀沙灘

銀閣寺垣

東求堂と庭園

 

慈照寺の庭園は国の特別史跡・特別名勝に指定されています。

建物と庭を四季折々楽しめる慈照寺です。

 

拝観

 

拝観時間

 

夏季 (3月1日〜11月30日) 午前8時30分〜午後5時
冬季 (12月1日〜2月末日) 午前9時~午後4時30分

 

拝観料

 

高校生以上 500円

小・中学生 300円

小学生まで 無料

 

所在地

 

〒606-8402 京都府京都市左京区銀閣寺町2

TEL 075-771-5725

 

慈照寺HP

 

アクセス

 

電車・バス

※「銀閣寺前」(京都市営バス32・急行100号系統)下車徒歩6分、「銀閣寺道」(京都市営バス5・17・32・急行100・急行102・203・204号系統、京都バス18・51・56系統、京阪バス56・56A系統)下車徒歩10分。

 

 

 

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