2006年の夏の甲子園 その6 | はだか男爵のブログ

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そろそろ今年の甲子園も

終盤に差し迫ってきましたね。


昨日は100年前の優勝校

鳥羽高校が惜しくも敗退して

残念でした。

優勝したら、まさにドラマだった

のですがね。


さてさて、今回の紹介する

選手は、選手と言うよりも

チームとしての紹介になります。


「八重山商工」ですね。


この高校、沖縄県の石垣島に

ある、日本最南端の高校です。


当時、離島からは100年たっても

甲子園は無理!と言われた中、

この離島にある八重山商工が

甲子園に出場できた背景には

ドラマ「ルーキーズ」も真っ青の

人間ドラマがあったのであります。



まずは、沖縄の高校野球の現状を

少し。

沖縄では野球自体は結構盛んで、

沖縄水産を始めとして、沖縄尚学

興南高校、と全国的にも有力校が

そろっている。

しかしながら、それは全て本島にある

高校であり、離島の学校にいる有力な

生徒は全て高校進学を期に、本島の

有力校や県外の高校に進学してしまう。

それは、なかなか就職先の無い沖縄

の事情もあって、離島に残っても

漁師ぐらいしか職業がないのです。

つまり、本島や県外の有力校へ進学し、

野球で結果を残し、東京の大学へ

推薦で進学し、東京で就職。

というのが一つのルートだった訳です。

その為、野球で結果を残せそうにない

離島の高校には人材が集まらない

という事情がありました。


そこに一人の男が登場した事により

ドラマが始まる訳ですね。

男の名前は「伊志嶺吉盛」、後に

甲子園出場を果たす離島の高校の

監督です。


彼自身も高校球児であり、大学で

そこそこ結果も残していたのですが、

小柄だった事もあり、指導者としての

道を選択する。

そんな彼の夢は「離島から甲子園に」

というものだった。

先述した様に、当時は離島からは

100年たっても無理と言われた時代。

周囲からは笑われたが、本人は絶対に

やるんだ!という思いがあった。

それは自分を育ててくれた石垣に

恩返しをしたいという監督の気持ち

だったらしいです。


伊志嶺監督はまず一度、八重山商工の

野球部の監督に就任するが、

思うように結果が出ず、辞めています。

まあ、有力選手が本島や県外に行って

しまう現状を考えたら仕方のない事かも

しれません。


そこで伊志嶺監督は少チームの監督

として、若手の育成に力を入れます。

島の少年の全体的な底上げを狙った

のですね。

島にリーグを作り、試合をこなす事で

実践形式での経験を積ませました。


そして島の少年達は見事に結果を

残します。

中学での硬式野球チーム

「八重山ポニーズ」は世界大会で

3位にまでのぼり詰めます。

それは小学校の時から伊志嶺監督が

育て上げた少年達でした。


そしてその結果を受けて、伊志嶺

監督は再度、八重山商工の監督に

就任します。

と言ってもやはりそこは離島の

弱小高校野球部。

一時、部員は2名しかおらず、

公式戦にも出られない状況だったとか。


そこに伊志嶺監督が育て上げてきた

野球チームの少年たちが八重山商工に

進学してきます。

そう、彼らは本島や県外の推薦を蹴り、

伊志嶺監督の夢である、「離島から

甲子園に」を実現すべく集まったのです。

はっきり言って彼らに八重山商工に

進学するメリットなど、万に一つも

ありません。そこにはただ、伊志嶺

監督と少年達の絆があっただけです。


彼らはただ、お互いを甲子園に

連れて行きたいと思い、そしてそれが

自分達には出来ると思ったのですね。


しかし、そこはそれ。いかに世界3位の

チームと言えど、簡単にはいきません。

彼らは小さい頃から幼馴染で、仲間

意識が強く、逆にそれが競争心を

薄くさせており、いざ!と言う時の

気迫というか心の強さに欠けていたの

です。

能力は高いが、勝ちきれないチームに

対して、伊志嶺監督は徹底した

スパルタで挑みます。

朝早くから夜遅くまで練習に費やす

姿勢は、家庭を犠牲にし、自分を

犠牲にしてきました。

実際に伊志嶺監督は離婚を2度経験し

息子さんも20歳という若さで亡くして

います。

自身も八重山商工の監督になる際に

仕事を辞め(監督としての収入は

月に5万円程度)、生徒の授業中に

出来る仕事として、ゴミの清掃の

仕事をしています。

小さい島ですから、そんな伊志嶺監督の

状況も恐らく生徒たちは知っていたと

思われます。

そこまでして自分たちに尽くして

くれているという思いに、少年達は

なんとか応えたいと思っていたのでは

ないでしょうかねぇ。切ないですねぇ。

そんなチームのテーマは

「臥薪嘗胆」!!昭和か!戦前か!




そして、伊志嶺監督の指導は功を奏し、

だんだんと結果が出てきたチームは

ついに、2006年春の選抜に

離島からは初めて、甲子園に出場を

果たします。


それは10年という長い歳月をかけて

一人の監督と、その教え子たちが

叶えた、離島の夢でもあったのです。


ああ、話はまだ続きますが

今日はここら辺で・・・・


しかし男爵とは正反対の青春を

送っている高校生ですなw

無駄に時間を費やし、徹夜で

マージャンとかやってた男としては

眩しくて眩しくてww