2006年の夏の甲子園 その3 | はだか男爵のブログ

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ブログの説明を入力します。

野球エリート。

この選手を言い表すなら

こんな感じ。


「福田永将」

まあ男爵の方が年上なので

また呼び捨てですがw





1998年、怪物・松坂大輔を

生み出した、神奈川の名門

横浜高校の主将である。


中学時代から注目される選手で

シニアの全日本の4番。

アメリカメジャーリーグのメッツの

スカウトから入団テストの依頼が

あったほどの選手。


高校時代は1年生からベンチ入りし、

当時3年生だった、涌井選手とも

バッテリーを組んだりしていた。


彼が3年生になった頃の

横浜高校はとにかく強かった。

どれだけ強かったかって?


2006年の春のセンバツ大会では

ダース君率いる岡山の関西高校を

延長再試合の末倒したハンカチ王子

こと斎藤選手率いる早稲田実業を

フルボッコ状態で圧倒。

決勝では、長崎代表の清峰高校を

「21-0」という、決勝戦としては

最大点差の結果で圧勝しているほど。



そして迎えた2006年の夏の甲子園。

横浜高校は当然、神奈川代表として

勝ち上がり、甲子園出場を果たす。

春夏連覇の権利は他の何処でもない

横浜高校にしか与えられないのだ。


もちろん福田擁する横浜高校は

優勝候補の筆頭だ。


しかし、組合せ抽選の時に事件は

起こる。

横浜高校の1回戦の相手は・・・


「大阪桐蔭高校」!!

こちらも優勝候補の一角。

大阪桐蔭の4番バッターは

2年生ながらもホームランを

大量生産する怪物 「中田翔」


かくして、事実上の決勝戦とまで

言われた戦いは、試合終盤の

乱打戦の結果、大阪桐蔭高校が

勝利し、福田選手の最後の夏と

横浜高校の春夏連覇の夢は

終わりを告げる。





しかし、この時はまだ、甲子園の

1回戦の初日!!

この大会のスタートはいきなりの

クライマックス状態だったのだ。

いかにこの大会が濃い内容の

大会だったかがわかると思う。


福田君はその後、プロに進み、

現在も中日ドラゴンズでプレー

している。


ちなみに、福田君の横浜高校を

破って2回戦に進んだ中田君の

話はまたそのうち・・・