こんにちは。大阪府池田市の整体院【関西カイロプラクティック】院長の鹿島 佑介です。
今日は意識と無意識の話しです。最近話題になっている問題として「自由意志はあるのか」という問題があります。
まだ結論は出ていません。
私が最初に意識と無意識の謎について多いに考えさせられることになったきっかけとなった「進化しすぎた脳」という本をご紹介します。
自由意志ってあるの?
かなり前に売れた本ですので、読んだことのある方は多いと思います。
著者は東大大学院で研究をしている方で、大脳生理学の本なのですが堅苦しい本ではありません。
その中でも「自由意志と脳の指令」が私のとって大変ショッキングな内容だったのです。
それは「好きなときにボタンを押す」という単純な行動をするときに脳のどこを使っているのか、という実験について書かれています。
その結果が驚きなのです!
運動前野という運動をプログラムするところが動き始めてから、何と1秒もたってから「動かそう」という意識が現れたのです。
つまり、意識よりも行動のほうが先だったということです。
その結論については書かれていませんが、「じゃあ自由意志はないの?」ということを深く考えさせられることになったのです。
これについては個人的にも研究レベルまだ結論はでていませんが、最近、それについてさらに細かく踏み込んでいる本を読みました。
面白すぎて分厚い本ですが夢中で読んでしまいました。
いや~面白かった!!
内容については難しいのですが、帯と表紙の説明と序章がまとめにもなっているので先にご紹介します。
【帯】
「意識は0.5秒遅れてやってくる。脳は私たちを欺いていた。意識は錯覚にすぎなかった。マクスウェルの魔物の話からエントロピー・情報理論、心理学・生理学、複雑系の概念までも駆使して『意識』という存在の欺瞞性を暴いたデンマークのベストセラー、待望の邦訳」
【表紙】
「『ユーザーイリュージョンとは』
パソコンのモニター画面上には「ごみ箱」「フォルダ」など様々なアイコンと文字が並ぶ。実際は単なる情報のかたまりにすぎないのに、ユーザーはそれをクリックすると仕事をしてくれるので、さも画面の向こうに「ごみ箱」や「フォルダ」があるかのように錯覚する現象を指す。」
「本書で、著者は「ユーザーイリュージョンは、意識というものを説明するのにふさわしいメタファーと言える。私たちの意識とは、ユーザーイリュージョンなのだ・・・・・・行動の主体として経験される〈私〉だけが錯覚なのではない。私たちが見たり、注意したり、感じたり、経験したりする世界も錯覚なのだ」という」
【序章】
「近年、意識という現象の科学的研究を通して明らかになってきたのだが、人間は意識的に知覚するよりもずっと多くを経験している。人は、意識が考えているよりもはるかに多くの影響を、周りの世界やお互いと及ぼし合っている。意識は自分が行動を制御していると感じているが、じつはそれは錯覚にすぎないのだ。西洋文化圏ではこれまで、人間生活の中で意識は多大な役割を担うと思われがちだったが、じつはその役割は、ずっと小さなものだった。歴史を研究してみればわかるとおり、今日私たちが意識と呼んでいる現象が見られるようになってから、せいぜい3000年しか過ぎていない。中枢にあって「経験する者」、意思決定する者、意識ある〈私〉という概念が幅を利かせてきたのは、たかだかここ100世代のことなのだ」
「1960年代以来、神経生理学者たちは、人間の主観的な報告と、脳で起きている活動の客観的な計測結果とを比較することで、意識を研究してきた。そして、私たちが『現実』と呼ぶものよりも意識が時間的に遅れていることを示す、驚くべき結果を得た。何かを意識するまでには0.5秒かかる」
この本には完全なる結論が書かれているわけではありませんが、結論に近い仮説は書かれています。
「人はお互いについて、意識が知っているよりはるかに多くを知っており、またお互いに対して、意識が知っているよりはるかに多くの影響を与え合っているからだ。人間はなんとしても、自分が身体の芯から正しいと思うことをやらなくてはいけない。なぜなら、その効果は私たちが意識しているより大きいからだ。
私たちは自分の行動の主導権を意識に委ねてはならない。意識を働かせ、熟慮したうえで、最も適切だと思えることだけを実行するようではいけない。直感に従って行動すべきだ。」
最後の訳者あとがきを読むだけでも価値があります。
「人間は意識がイリュージョンであることを自覚しなければならない。意識ある〈私〉と無意識の〈自分〉の共存が必要だ。〈私〉が自らの限界と〈自分〉の存在を認め、〈自分〉を信頼し、権限を委ねることが、『平静』のカギとなるというのも、理にかなっている。」
■「意識は0.5秒遅れてやってくる 」についての補足
ベンジャミン・リベットという方が研究によって突き止め、様々な方が追って真実であることとを証明した理論です。
「ベンジャミン・リベットは、感覚器官から脳につながる特殊系の神経線維が、感覚の時間調整を許していることを実証した。非特殊系の神経線維が0・5秒の活動をおこし、その結果、経験されうるようになるまで、その感覚は経験されない、ということを、突き止めたのである。」
私たちの意識は、その0.5秒の間に「自分」が処理したシュミレーションの結果であり、意識は「私」というユーザーにとってのイリュージョンであるということなんです。
「<私>という意識はユーザーイリュージョン=錯覚である」
わかったようなわからないような感じですが、、、
この本には五感の役割のついても書かれているのでご紹介します。
「意識が私たちに示す感覚データは、すでに大幅に処理されている。ところが意識はそうとは教えてくれない。」
「意識的自覚がおこる前に、膨大な量の感覚情報が捨てられる。」
「私たちは感覚を経験するが、その感覚が解釈され、処理されたものだということは、経験しない。」
「なぜ、人は感覚器官から入ってくるものを経験しないのか。それは毎秒何百万ビットという、あまりに多くのインプットがあるからだ」
「事態はたしかに感知、シミュレーション、経験の順におこる。」
「私たちは、編集された感覚を未編集のものとして体験する。」
「こうして私たちは、編集された感覚を未編集のものとして体験するわけなのである。」
感覚器官が取得する大量の情報を必要な分だけ圧縮し、いらないものを大量に処分するのに0.5秒の時間が必要なんですね。
実は取り込まれた情報の本の一部で、しかも真実ではないということ。
それに意識はそれに0.5秒かかっているとは思っていない。意識に上がってくる情報、自分が見えていると思っている世界はすべて錯覚なんです。
自分が決断していると思っていることすら錯覚なんです。
「ある経験を意識する、という事は、それがすでに過去のものとなっているということに他ならない」
「意識は、実行してはいけない、という決断はできるが、行為を起こすことはできない」
意識はその決断に対して実行しないように行為を止める事しかできないのだそうです。
これについてはさまざまな本でいろいろな説が書いてありますが、結論が出ていません。
これは自由意志につながる問題です。
哲学的に解釈して、自由意志はないし人生は決まっているんだから、悩まない方がいいですよ、見たいな解釈をしている方もおられます。
それで人生が楽に楽しめるならそれでもいいかなと思います。
私自身は自由意志はあると思っていますが、潜在意識に影響を受けているんだろうなとは思います。
「サッカー選手はプレイ中に高度な計算をしているのだけれど、それは意識にはのぼらない。意識にのぼった瞬間、その思考が失敗を生む」
これはゾーンの話しにもつながりますね。
ここで私の体験談をひとつ。
もう10年ほど前の話しです。
当時父が末期がんということでずっと病院で入院してきたときの話し。
突然父が一日外出許可を取ったのでゴルフに行こうと言われたのです。大丈夫かなと思いながら父の思い出になるならと思い行きました。
当時2年ぶりのゴルフ。父に気を使いながらラウンドし、ふと18番ホールでふと気が付くと2アンダーというスコア!!
自分でもびっくり!!
ふとこのホールバーディなら60台だ、と思いティーショットを打ったら・・・・
OB・・・・
結局1オーバー・・・・
まさにゾーンから外れた瞬間を経験しました。
直感・無意識に従って行動するのが一番なんですね。
意識に任せるとこんなことになるんです。
もちろんこんな経験はこの時が初めてではありません。
ほとんどが意識に支配されていますね。
無意識の存在を知り無意識に任せるといっても、それも意識・・・・
難しいですね。
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