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iPhoneを何故買ったか。

今日友達に聞かれて上手く答えられなかったから整理のために書きます。

前提;メアドは基本口外していない。買ったこと自体もあんまり口外していない。電話・メール機能としては活用しない予定。
動機;卒論で携帯電話を扱っているから。
   未知のハイテク製品だったから。
   LetsNoteのバッテリーが死んでるから、モバイルPCの代用として。(実はこれが一番の目的)

途中経過:良いと思った点
・インターネット接続の手軽さ
 ⇔
・アプリの存在
 exデフォルトで入ってるメールアプリ=複数のアカウントで未確認メールがないか同時に確認できる。

結論
iPhoneの最大の利点
・友人Kも言っていたがカスタマイズ性。それにより、ほぼコスト無しに必要な情報を得ることができる。
・それでいて程良い情報の遮断機能(必要な情報はアプリを自らクリックして獲得)。一般大衆にとっては情報の洪水は、価値ある情報も無価値にする。
・それと、アプリケーション間の情報の互換性。アプリケーションが違っても、コピペができたりする点。
・最後にマルチタスク機能。各アプリを途中で放置して他のアプリに飛んでもそれまでの作業を記憶しておいてくれる。
・十字キーがないのは痛い!

日本の携帯も捨てたものじゃない。
・一言で言うなら“芸が細かい“
・コピーした時、複数のタスクを記憶しておいてくれる。何回もコピーしても、昔のデータが記憶されている。PC以上に使える。
・文字を打ち込む時にアドレスやプロフィールにアクセスできる。
・思った以上にネットの情報を閲覧可能。~ニコ動はiPhoneでも基本的に閲覧不可だし。違いはward、excel、pdfはiPhoneだけが『閲覧』できること。編集は専用アプリを落とさないと不可!(有料!)



どうでもいいけど・・・
・複数の機能を一つのデバイスにまとめようとしても人間処理できない、無駄が多すぎる、最適化できずに効率化できない。
・今日、携帯電話(au)とiPhone、iPodを持って同時にそれぞれの特定の目的の為につかってたけど、効率的だった。やっぱiPhoneよりiPodの方が音楽を聴くのには最適だし、それは各々にいえる。
・情報機器に喩えるなら自分はOSに徹するのが一等手っ取り早い。自分がアプリケーション機能もこなそうとすると格段に情報処理能力が落ちる。

『悩む力』 姜尚中

書評


夏目漱石とマックスウエーバーを軸に、まじめに考え抜くことの重要さを述べている。

社会の解体と自己の拡大が起こっている社会では、考えないか、自分を信じて考え抜くしかないという主張だ。

ただし、どちらにしろ他者との関わり合いでしか、答えはでようもないと述べている。

序章以外は、その具体例でしかない。終章は、筆者の今後の生き方を宣言している。

汎用性がある思考法で、その根本は他者との関わり合いだ。就活においても当てはまるだろう。現代の自我の基盤の認識(個人主義)とその解決法(他者承認)をきちんと理解しておかないと、答えのない悩みに陥ってしまう、と感じた。逆に、この二点に納得できれば、悩み続けることの意味は見出せるのであろう。それが生きる意味になるのではないか。


内容


現状認識として、中世の宗教という制度によって、人間の生きる目的が規定されていた時代と違い、

現代は合理性の発達により、個人がむき出しになり、一人ひとりが決断を下していかなければならない時代であると述べている。このような現代の発展は、近代の発展による。つまり日本で言えば明治維新であり同時代のドイツもそうである。そのために、漱石とウエーバーが引き合いに出されている。

このような認識の後、適当なテーマについて、筆者なりの考え方が示してある。

悩む根本である自我を、筆者は相互承認でしか確認できないと述べる。そして労働することの意義も、同様に社会からの自己認識にあると述べている。またサービス業について、仕事に制限がないので心身ともに疲れてしまうが、逆に全人格性を取り返す可能性を見出しています。

人間の知性とは何か。旧制度への回帰ではなく、ブリコラージュ的つまり無限に拡大していく脳と現実の肉体や感覚の間に自分の身の丈に合わせて限定していく、そして、内側のことは知悉してかつ外との接触は閉じない姿勢であると述べている。人は何を知るべきかに繋がり、そのままどんな社会が望ましいかに繋がるということでもあります。

愛の位置づけについて。現在は、判断基準を失った非常に自由な時代である。幸せな私になるために愛を探し出すと、純愛に走るか、未知の領域に踏み込むかのような側物的なセックスを求める、あるいはその中間に消耗品的な愛が満ちたりる世の中になってしまう。絶頂で終わらせたいという欲求がストーカーや無理心中をうむのではないか。愛とは、個人と個人の間に展開される、絶えざるパフォーマンスの所産でしかないというのが、筆者の主張である。

死んではいけない理由は、昔のような慣習もなくなってきている以上、絶対的なものはない。各個人が、人とのつながりを持ち続けて、相互承認を行い、私が私として生きていけるようになって初めて、生と死の重みを取り返すのである。

現代における老人の社会的位置づけとは。現代の老人にも、自由に生きることを希求する心が生まれている。従って、長老のような役割は期待できないしすべきではない。むしろ、労働の枠が取り払われた存在として攪乱する存在であるべきだ。死を引き受けて、怖いものなしな、横着な生き方をしていこうと述べている。



プレジデント 2009.3.16号

書評

いる社員、捨てられる社員 って副題に、思わず衝動買い。かなり落ち込んでいたからな。実際、雇用やばいよねって、話で終始しそうだったから、購入失敗かとおもったけど、経営者の話がでてて、そこは興味がでました。まぁようは他人を巻き込める人間になろうってこと。この手の雑誌で面白いのは、先生方の社会正義を体現した意見と、現場からの惨状を語る発言が両方載っていて、バランスが良いというのか主張がないというかな感じになることですね。今回は、全体として前向きな意見が多かったです。現場の声も意図的にそういうのを拾ってきてます。てか実際のところ、あまりにも、良い面しか見ていないです。プレジデントって経営層向けなのかな。すくなくとも自称優秀サラリーマン向けですね。
雑誌全体の主張としては、人材価値の高い人財、になろうって感じです。人財とは、職場全体、チーム全体の空気を良い方向に、持ってける人ってことですね。いやぁまさに目指すところです。そういう人間になりたい。
伊丹敬之、大前研一、味の素・東電・新日石などの各社長の話だけでも、就活生にはありかな。でも、現場の声の記事を見ても、気持ちが落ち込まないようになってます。

この手の雑誌は、具体的な技術スキルは得られないけど、心の持ちようを変えるためにありますよね。ビジネス誌ってのは、具体事例・ケースを出して実際に成功例をひたすら見せるか、気合だぁって言ってもちべを上げる(科学的手法っぽくみせてるかどうかの違いはありますが)記事を連発するしかないんですよね。
イノベーションのジレンマみたいな、現実でも通用しそうな理論を打ち立てるのって、どれほど大変か。それでも否定される事例は出てくるものだし、現場じゃ使い物にならんまたは、当たり前ってことになるんだろうな。でもイデアに如何に近づけるかが、社会科学の面白い部分だと思います。

補記。巻末の方にある飯島勲の記事は秀逸でした。官僚がのしあがるには、ノンキャリが大事なのね。