今日は日曜なので、フリーテーマの日です。折角のフリーの日ではありますが、今日は少し思うところがあって、少々まじめくさったことを書かせていただきたいと思います。ご勘弁をば・・・^^。少し長文になりますが、お付き合いくださいね。
【名古屋で起こったいたましいイルカの死】
名古屋港水族館で、ショーのジャンプの練習中に、イルカがプールサイドに落下して、死亡するという痛ましい事故が起きたそうです。肺を強く打ち破裂、即死だったそうです。
この水族館の飼育体制や、動物の管理体制がどうだったのかは、僕にはわからないのですが、僕自身は、こうした施設は今後も継続的に運営してほしい気持ちがあります。今回、亡くなったイルカには、本当に気の毒に思うし、悲しい気持ちで一杯ですが、こうした施設で子ども達に育まれる大切な気持ちは、今後も大切にしていただきたいと思うのです。事故を起こした施設の管理者の方々は、僕などがいうまでもなく、反省と対策をねってらっしゃるでしょうし、そうあって欲しいと願います。
うちは、子どもが2歳と9歳で、2人とも動物好きなので、昨秋、伊勢志摩の二見シーパラダイスと志摩マリンランド、今春には白浜アドベンチャーワールドに行き、動物たちとのふれあいを楽しみ、ショーの楽しんできました。二人とも、それは喜んで、旅程を満喫して帰ってきました。
水族館のイルカやアシカなどのショーには、批判的な声と好意的な声の両方が以前からあるようですね。前者は、動物をえさでつって芸をさせることへの批判。後者は、子ども達が動物への愛着や自然への親しみを感じていく上で、こうした施設の大切さを評価する声などでしょうか。
【あるイルカの生きる意志の物語】
さて、話は変わりますが、先日長男とイルカのショーを題材にした映画を見てきました。沖縄で実際にあった話を題材にした映画でした。
ドルフィンブルー ~もういちど宙へ
http://cine.co.jp/dolphin-blue/
この映画を通して、僕は、飼育されているイルカに、
単に芸をやらされているというものではない、
そのイルカ自身の動機を感じたので、
少しそのお話しをさせて頂きたいと思います。
(ネタばれ有り・・・映画を観ようと思う方は、
続きを読むのはやめたほうがいいかもしれません。)
この映画は、沖縄の水族館を舞台に、新人の獣医と病気になって尾びれを失ったイルカとの交流のお話しです。このイルカ、水族館で飼育されていたのですが、得意な芸はひとつもなく、ショーに出ることはなかったそうです。でも、3頭の子どもを生み、「ビックマザー」と呼ばれて、大切に飼育されていたそうです。しかし、ある日、原因不明の感染症から尾びれの壊死が始まり、結局、命と引き換えに、尾びれの大半を切り落とすことになりました。
尾びれを失ってから、このイルカは泳ぐことをやめてしまい、浮かぶことしかしなくなったそうです。それなりに泳ごうと思えば、全く泳げないわけではなかったようなのですが、意欲を失ってしまったそうなのです。
そんなイルカをみかねた獣医は、タイヤメーカーのブリジストンを説得して、人工尾びれの製作に着手したのです。そして、ゴム製を尾びれをつけてもらったイルカは、再び泳ぐ意欲を取り戻し始めたそうなのです。尾びれに改良を加える内に、人工尾びれはより自然に近いものになり、イルカに予想外の変化が現れたのです。
なんと、健康な時には
全くやろうとしなかったジャンプに挑戦し始めたのです。
ところが、ジャンプの負荷は予想外に大きく、尾びれは破損し、イルカにも傷が付いてしまいます。飼育員は、「もう、人工尾びれを付けなくても泳げるようにもなっているし、また使って、傷が付き、そこから感染症が再発したらどうするのか」と消極論に一転します。
そこから、館長と飼育員と獣医の葛藤の日々が始まります。
館長の印象的な台詞があります。
「動物を狭いプールに閉じ込めて、冷凍のえさばかり食べさせるから、
感染症など起こすのだと言う人も居るだろう。
でも、ここを楽しみにやってくる人が居る限り、
自分達は出来る限りのことをやっていくしかないんだ。」
あきらめきれない獣医は、飼育員に提案をします。
「フジ(イルカ)に決めてもらおう。
フジがこれを付けたがらなかったら、あきらめる」
飼育員は拒みますが、周囲の薦めも有り、しぶしぶ同意します。
飼育員は自ら、人工尾びれを装着するための浅瀬プールに立ち、
尾びれを示しながら、イルカの答えを待ちました。
内心、「来るな、来るな」と願いながら・・・。
しかし、フジ(イルカ)の意思はそれとは反したものでした。
浅瀬プールに自ら上がり、尻尾を水面上に差し出して、
付けてほしいとせがんだのです。
僕が、この時に感じたのは、
人の葛藤や思惑を超えた、
動物そのものがもつ生命力と意思でした。
つまり、狭い檻に入れられた不幸とか、
囚われの身で一生を過ごす悲しさとか、
そんなこと以前に、
どんな環境にあっても、
自らの可能性を求めたいという、
生き物としての、元来の欲求の前には、
人の悩みや葛藤など、何の意味もないということです。
このイルカにとって、泳ぐということは、
生きることそのものであり、
一度失った泳ぎを取り戻したことで、
飛んでみたいとすら思うようになる変容は、
イルカ自らの生きる意思なのだろうと感じるのです。
餌をもらえたり、ショーを喜んでもらえるのは、
その次にあるだけであって、
そこにあるのは、泳げる喜びがイルカの気持ちを変え、
健康な時にはやろうともしなかったジャンプに挑戦させた、
生命の意思そのものだろうと感じるのです。
動物も人も、そもそもは遺伝子を次に伝え、
繁殖を続ける為に存在すると言う学者さんもいます。
しかし、今この星で生きる動物達は、
自分の存在に、そんなものではない別の価値を見出して、
暮らしているように感じます。
人であれ、動物であれ、
自らの生きる意思をどう活かすのか。
それこそが、命を燃やすことなのかもしれませんね。
自らの意思で、その命の火を燃やす時、
そこに、本来の生きる意味があると感じるのです。
この映画から、僕はそんなことを感じました。
そして、名古屋で死んだイルカが、
可哀想とか、悲しいと言う気持ちよりも、
そのイルカにとって、芸の練習は、
自らの生きる意思であったのなら、
その命の尊さには敬意を表しつつも、
「とらわれて、芸をさせられて、死にいたらされて、可哀想」
などと、簡単に評価してしまってよいものかとすら思います。
飛ぶことが、生きることであるなら、
その過程で、不幸にして死に至ったとしても、
そのイルカにとっては、不幸な結果も、
生きるうえでの必然であったと言えるのかもしれません。
僕は、やはり、自分の命を燃やし続けたいと、
この2頭のイルカから、改めて感じさせていただきました。
そんな彼らに、こころから、ありがとうを言いたいのです。
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