今日は障害告知に関する3回目です。障害を告知された当事者さんからの感想ですが、「ショックだった」というよりも、「ようやく腑に落ちた」、なにか「安心したような気がした」というような反応が、意外に多いように感じます。今日はそのあたりについて、触れていきますね。
冒頭にも書きましたが、多くの当事者さんから、
「告知を受け(もしくは診断がおりて)、真実がわかって、ホッとした」
・・・というようなお話を聞きます。
きっとそれは、告知を受けるまで(もしくは診断がおりるまで)の方が、
余程、本人にとってはつらかったという事ではないかと、想像します。
「なぜ、自分は周囲から阻害されるのだろう」
「なぜ、みんなと仲良く出来ないのか?」
・・・という思いは、多くの方が抱いていたようです。
また、
「みんなには、自分にはない、何かがある」
(これはきっと想像性の能力や、対人関係を良好にする為のスキルの事を漠然と感じていると想像します)
「なにか、おかしい。なぜ、自分はひとより出来ないことが多いのだろう」
・・・といった疑問と言うか、不安の様な感情がそこにはあるように感じます。
そして、その挙句に、
「自分は、出来ないことばかりの、ダメな人間なのだろうか?」
・・・と自己否定や、卑下の蓄積へと繋がっていくようです。
こうした状態を専門的には、「自己同一感」がもてない状態と言うそうです。
要は、自分の問題の原因がつかめないで、
「自分は一体何者なのだろう?」と悩んでいるのだと考えます。
そして、このような状態で居るよりは、「発達障害」や「アスペルガー症候群」などの、
診断がおりることで、自分の問題が、
「性格のせいではない」とか、「人格が悪いのではない」と判るほうが、
余程、本人にとって大切なのだろうと、想像します。
特に思春期は、こうした周囲との差を、ご本人も感じ始める時期で、
そうでなくとも多感な年頃に、
思春期特有の自分探しと、
発達の問題を、はっきりと定まらないままに、
両方を抱えるのは、非常に辛い事なのでしょう。
発見が遅れてしまった親御さんや、
診断が成人になってからの当事者さんの多くが、
「せめて思春期前に知らせてやりたかった(知っておきたかった)」
とおっしゃっています。
こうしたところで、実際に告知を受けた当事者さんは、
ショックよりも、「安心した」「ホッとした」といった感想に繋がるのではと想像します。
また、これは仮説に過ぎませんが、ひとつの要素としては、
あるいは、「想像性の障害」や「状況把握の苦手」などから、
「障害をもつ」ということが、その後どういった事に繋がっていくのか、
正確には把握できていないのかもしれません。
実感できないところが特性なのかもしれません。
しかし、たとえ、そうであったとしても、
いずれにせよ、「自分が何者なのか、しっかりと知る」ことの方が、
その後の人生においても、
重要なパーツを手にに入れることに繋がるようです。
多くの当事者さん、親御さんからの、お話から、ぼくは、やはりそう感じるのです。
最後に、告知をしないままに、お子さんが、既に思春期や、あるいは成人になってしまっている親御さんにひと言、お話したいと思います。
この記事を読んで「では、告知を急がねば!」というのも、
良いものかどうか、難しいと考えます。
特に、既に、自己否定感が積みあがってしまっている状態なら、
告知も慎重にするべきだろうと思います。
医師や支援者にも助言を求めながら、
タイミングと方法をよく相談なさって、
実行するのが良いのではと、考えます。
次回は、予告通り、「告知の遅れが、性不同一性障害」にまで至ってしますケースについて、お話したいと思っています。
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