植松光子です。
亡くなった父のことが、最近よく思い出されるようになった。
どんなに私のことを深い愛情を持って育ててきてくれたか、今頃つくづく感じるようになった。
特に思い出すのは父の健康のことである。
父は戦地に行って、昭和22年私が2歳の時、復員して帰国した。
それも肺結核になって担架に乗って帰ってきたそうである。
すぐにも入院しなければならない状態なのに、戦後の混乱期、まずは働かなければ食べていけない。
小さな土地に洋品店を出した。
しかし私が7歳の時、自宅と店が一緒の店舗を新築したころ、病気は悪化した。
ろっ骨を6本切る大手術をした。
結核の特効薬ストレプトマイシンは当時はなく、ただ空気の良いところで栄養のあるものを食べて寝ているだけの療養生活しかなく、天竜川の上流の病院に入院した。
若い母と叔父で店を守り、月に1回母は滋養のあるものをもって父の所に通って行った。
ある時はいとこたちが捕って佃煮にしたドジョウ、ある時はウナギのかば焼きをもって。
帰ってきて母は、
「ウナギのかば焼きを温めたら病院の部屋中、かば焼きの匂いがして気が引けたわ。」
と、楽しそうに話していたのを思い出す。
しかし涙をぬぐっていた姿も思い出す。
*次回につづきます。*