嘘のない昔話。
私は兄弟も沢山いて幸せそうに思われる
現実、家が貧乏すぎて小学生からずっと働き人生でフリーな時は一度もありません。
1人!親元を離れ10才の時から1人で暮らしていました。高校一年まで。
東京に17才で上京して毎日働く。私が黒鳥時代
母親がお店にたずねてきて妹、弟4人つれて。仕送りはしていましたが足りるはずがありません。その日から21才の私は五人分の生活費を稼がなくてはいけません。
びっくりでしょうが黒鳥では月50万契約
その時から私の心は阿修羅に人生を!
私も若かったし色々あり一度!親だけ福島 へ。幼い妹や弟をつれ働き人生。
時に17才の時モデルやりながら夜は水商売
兄弟を楽屋にかくしていました。当時のお客様はおわかりの方も。
23才で大阪へ!親からそこから連絡はなく
北新地で働かせて頂いてしばらく落ち着いた生活の日々に突然の電話。
義理の父親が刑務所。私はまた幸せを犠牲にしてお金人間に。大阪では沢山稼いでも
家族5人の生活費?いくら稼いでも無理
大阪での大ママ様にも沢山助けて頂き迷惑もかけました。
回りの方々は私をお金人間と思ってる方々が多いです。
私の20代!お世話になった方々がすごい方ばかりなのでお金に困った事はありません
もし私人身の為に使っていたら簡単に
家はたてれます。貯金も億はあるでしょう
私のくだらない昔話ですが
私は義理父をKしたいほど人生でにくい。
母親も何故?あの男を選んだのか?
私はいまだに金にたいして馬鹿だの
あんたは無駄ずかいしすぎだの
貢いでるだの。20代話がつきない。
ずっと心にしまって生きて行こうと思ったのですが、自分が他人からどう思われようと私の生き方に間違いはないし!
水商売をバカらしいと思ったことも
でも夜蝶でなければ今の回りの人脈と出会えることもないと思います。
今はこの世界でゆっくり生きて行く事が
一番の選択です。過去は戻らないし
否定するかたは真実を話しても理解してもらえない。自分の力不足。
ただ明日はkanouruka改めて生きるの意味を学びに。
今日は最後の怒り。
もし長文、読んでくださった方々は感謝
明日は後編 by kanouruka