先日、子供みたいに
思いっきり泣いたことを書きました。 

 



大人になるにつれて 
この先起こるかどうか分からない余計な不安が湧いてきて
自分に辛い思いを上乗せしてしまって
本当の感覚や感情をちゃんと見ていないんだなと
つくづくと思いました。

このことは前回のブログに書いてあるので
よければ読んでみてください。 





今回は
その時にもう一つ、とても大切だと感じたことを書きます。

 

 

 



痛いのからときはなたれたくて

主人の手を握りながら泣いてた時に
ふと、
  

子どもがこんなふうに痛いと泣いている時、
お母さん(又はお父さん)が
掃除の途中なのに‥とか
早く夕飯作らなくちゃ…と
気持ちが子ども以外の事に逸れていたり
イライラしていたりしたら…

 

 

子どもは安心して泣くこともできないだろうな~と思いました。




お母さんがイライラしているのを感じて
痛みが和らぐどころか
不安になったり、
自分のせいでお母さんが困っていると思って
もっと悲しくなってしまいます。
 



私自身が子どもの頃

母の心ここに在らずだなと感じ

とても寂しくなった事がありました。


子どもはお母さんの声や少しの表情で
お母さんの感情を敏感に感じとります。





 

   

私が痛くて辛い〜と

主人に手を繋いでいてもらおうと思ったのは

普段から主人は熟睡している時に

私が起こしてしまっても決して怒らないと

分かっているので
「絶対的な安心感」があります。 


だから、泣いても受け入れてくれると

信じることができます。






確かにお母さんは
やる事が山積みで時間に追われているので

子どもが早く泣き止んでくれないと

家事が片付かない…なんて考えちゃいますね。


かくいう私も年子の子育て中、

イライラしたくなのにイライラしてしまい、

私が子ども時代に感じていた寂しさを

今度は私が娘にしいていることが

本当に情けなく自分を責めていました。



子どもが感じる「お母さんがいれば、どんな時も絶対に安心という感覚」 

絶対的安心感があれば、

子どもは
辛いことをちゃんと辛いと

感情を解放して泣けるのだと思います。
 




「素直に感情を表せること」

 それがどれだけ

子どもにとって大事なことか、

今回のことで

ありありと感じました。

 



そして

それは大人も同じだということも