女性のための官能小説 

「イルベント エレローゼ 愛するということ -KOKO-」

公開連載第3回











その年若い


黒髪の青年は、

金で買えるものはなんでも

手に入れることができた。



恵まれた美しい容姿を持ち、

中でもその


艶やかな黒髪と

碧い瞳は、

彼自身が飽きるほど


よく褒められた。



彼が持っているものは、

彫刻のように美しい

顔と体だけではない。



富も、

生まれながらにして与えられていた


家名も、

彼の持っているものの

ひとつにすぎない。



彼にとって、


恋もセックスも


簡単に手に入る


多くのもののなかの


ひとつで、

気まぐれに口にする


ケーキのような、

他愛のない


愛らしいものでしかないのだ。



腹を満たすほどではないが、

甘く柔らかな……


特別ではないけれど、

舌の上で蕩かすのに


ちょうど良いもの。


だが、それは


彼が

彼女を知らなかったというだけの

ことでしかなかった。
 
 

彼は、

自分の思いどおりにならないものを

知らなかったのだ。


傲慢で傍若無人で、

けれどそれは彼の若さに

よく似合っていた。


黒髪の青年は十分に、

魅力的な男だったのだ。


彼女以外の、

彼の世界の中の女たちに


とっては。



彼が彼女を知らずに

生きてゆくことができれば、

退屈ではあるが、

こんなふうに


苦しむことはなかっただろう。



だが、


彼は知ってしまった。



青年を


招待した紳士の館の中でも、

特に磨き抜かれたアンティークに囲まれた

ダイニングルームでは、

ときおりさざ波のような笑い声が


響いていた。

 


再会を喜び合い、

また初めて会う機会に


恵まれたことを

喜びあう着飾った人々。


彼らはみな、

選ばれてここにいる。


そこでは今夜も、

ゆらめく灯りの元で、

ディナーが催されていた。


青年は、

父の知人である紳士に


招待され、

この館に来たのだった。


一生かけても

使い切ることが難しいほどの富と、

その富を守り増やし

有効に使う才能に恵まれた紳士に

選ばれたものだけが通される、

こじんまりとしたその部屋。



そこで催されるディナーに

招かれることは、

一種のステイタスだ。



今夜のディナーは、

きらびやかに着飾った


紳士淑女が、

より親密になるためのものだ。


そして、

紳士たちが、

公の場でできない

混みいった話をするための

サロンのようなものでもある。



青年もまた、

一見行儀のよい正装した

紳士淑女の招待客のひとりだった。

紳士とは彼の父親が、

親交があるに過ぎなかったが、

父は紳士にとって、

重要な人物のひとりであることは


間違いない。


だが、


それがなんだというのだろう。

青年はため息を飲み込んだ。

黒髪の青年にとっては、

紳士も退屈な大人のひとりだ。

「しかしあの絵の落ち着き先が、
あなたのところになるとは」

「家人が気に入ったと以前言っていたのを、
思い出しましてね」

 アートの話も政治の話も、

青年には増やすことに

意味を見いだせない資産の話も、

どれもこれも、

つまらなかった。


当たり障りのないようでいて、

そのじつ、

互いの腹を探り合う大人の会話は、

青年を退屈させていた。

 
そんなことよりもずっと、

この席についたときから

気になって仕方ないことがある。


主催の紳士が

エスコートしてきた貴婦人は、

ひときわ目立つ存在だった。



ちょうど正面に座った

彼女からの視線を、

ときおり感じるような

気がするのだ。



 なのに、彼女は

思わせぶりにその目に

微笑みをたたえるだけで、

言葉を交わすよりも前に、

なんの興味もない顔で、

視線をそらしてしまう。



 背中に

鉄の棒でも入っているのではないかと


疑いたくなるほど、

姿勢の良いソムリエが、

来客者たちのワイングラスに、

ロマネ・コンティを注いでいる。



 だが、

誰もその味を楽しんでいるようには、

青年には見えない。


 そんな中、

彼女だけが、

じっくりと口に含み

愉しんでいるように見えた。

 こくりと、

ゆっくり上下する喉から

目が離せない。


 大胆にデコルテの開いたドレスは、

彼女によく似合っていた。

きっと、

紳士が贈ったものに違いない。

生地の光沢は、

ゆらめく蝋燭の灯を吸いこむように

とろりと輝いて彼女を包んでいた。


 隣の紳士と

じっと見つめ合い、

体を寄せて何か耳元で囁きあっては

忍び笑いをする、

その思わせぶりな親密さが、

妙に気に障る。


 この気持ちがなんなのか、

青年はまだ思いつかない。


 品のいい紳士が、

肉を口に運ぶときだけは、

大きく口を開け、

豪快な食べっぷりをみせる。


紳士もまた、

ディナーを愉しんでいるようだ。


 それを見て、

隣でふっと彼女が愛しいものを見るように

顔をほころばせて微笑む。


 紳士も、

彼女を愛しくてたまらない恋人を見るように

じっと見返した。


「KOKO…、
どうやら気に入ってくれたようだね」
 
彼女の名はKOKOと


いうらしい。

その名前には聞き覚えがあった。


名だたる紳士たちが、

彼女と同席したことを

こぞって自慢の種にするからだ。


たしかにそのエキゾチックな容貌と、

たっぷりと潤った唇、

そしてなにより、美しく輝く

大きな瞳がひどく心を騒がせる。


「……ふふ…」


彼女は、

大降りの真珠のネックレスに

ネイルで彩った形の良い爪をした指を遊ばせ、

にっこりと紳士に微笑みを返した。


かっと、青年の腹の底が煮える。

あれより大きな宝石を

贈って喜ばせることも、

自分ならできる。


青年の隣で、

意味深なようでいて、

わかりやすすぎるシグナルを

送ってくる連れの女性の視線が、

今は、ただ鬱陶しかった。


連れ歩くのが自慢になる、

人気モデルだった。

しかも、

高学歴の彼女は


父の評判も良くて好都合だった。


なのに、なぜだろう。


絡みつくような視線も、

甘ったるいしゃべり方も、

今は気に障った。


同じ視線、

同じ声を聞いたことがあるのを

思い出したからだ。


モデルは、

青年の父親といるときも、

同じ仕草で媚びていた。

父親の次は、

自分に秋波を送る気かと、

怒鳴りつけてやれたら

どんなにすっきりするだろう。


紳士が何か小声で耳打ちする。

だが、KOKOは

微笑みを返すばかりで、

ワインを口に運んで答えをかわしている。


 いい気味だった。


すべてにおいてジャッジの早い男だと、

父親は紳士に一目置いている。

めったに人を褒めることのない父親が

言葉を惜しまず褒めるこの紳士は、

ひとめ会ったときから


いけすかなかった。


「この館では、君のすべてを
私にエスコートさせてくれるね」


彼女が、許しを与えるように微笑む。


「……望みがあれば、
なんでも言っておくれ。
君の望みなら、
すべて……僕がなんだってかなえてみせる」


「なんでも?」


「ああ、そうだ。なんでも」


「……嬉しい。愛してるわ」 


 それが、始まりの合図だった。



(続く)
========


(再)