わたくしたちの
ラブリーK・Bのみなさん
ごきげんいかがですか?
「ピュアで透明な心のあり方」とそのリスク
澄み切った、
どこまでも透明で、
シースルーな海、
この穏やかで
プレシャスな海の環境も
ときには、
きびしい自然の環境によって、
濁っている瞬間もあるのでしょう。
でも、
また、何事もなかったように
美しく澄み切った、
吸い込まれるように
どこまでもとうめいなピュアな表情で
いてくれる自然の偉大さに、
わたくしは、
心を強く打たれます。
そして、
わたくしも、いつも、いつまでも、
ピュアで透明な心で
自分に素直に、正直に、
生きることを深く心がけているのですよ。
もちろん、
それには、
言葉でさらりといってしまうほど
簡単なことではなく、
自然界の厳しさとのように
世間との違和感やまさつ、などさまざまな
たくさんのリスクが伴いますが、
それらは、
わたくしにとって全くと言っていいほど、
何の問題にもなりません。
なぜなら、
「わたくしがわたくしであるということ」
という価値観の生き方であるため、
わたくしが、
世間(日本の)の価値観と
いかに違おうと、
影響の受けようがないのですよ。
しかし、
外の世界に対して自分の興味を解き放つこと、
つねに好奇心と探求心を働かせることにはいつも熱心なのですよ。
「空気など読まなくてもよい時」
以前から気になっていたのですが、
「空気が読めないといわれ、悩んでいます。」という
ご相談、ご質問のコメントがたくさんありましたね。
昨日のmichiさんのコメントにも苦痛にかんじていらっしゃると、、。
・自分とちがう価値観だからといって批判するように、
「空気を読めない」という解釈ならば、そのような空気など読む必要はないと
わたくしは、おもいますよ。
・それでも必死になって読まないといけない「空気」に疲れ果て、
呼吸困難で苦しくなってしまったとき、きちんと自分を休ませてあげましょう。
・そのためには、人間と自然の調和がとても役立ちますよ。
「新鮮な空気」は都会のお花屋さんなどでも心の深呼吸ができますよ。
絶対に何かを買わなければいけないわけではありません。
ふらりと立ち寄り、自然の存在に触れることは、案外効果的ですよ。
波風を立てることを恐れるあまりに、「私もそう思う」と
心にもない賛同ばかりをすることが「空気を読めること」なのであるならば
そのような空気は
そのようなところこそ、
わたくしにとっては
息苦しく、
とどまる必要のない場所なのです。
それに、そもそも、
正しい意味、あり方での「空気」を読むは
ほとんど存在しないように思います。
ですから、
気になさっている方、悩んでいる方、
そのことを、特に深刻にとらえないようにしてみてはいかがでしょう。
「君は空気が読めないね。」と言っているほうの方も
実は、その方のほうこそが「空気が読めていない。」かもしれません。
人はみな、パーフェクトではない、
それが、人間味ということなのですから。
とても長くなってしまいましたね。
それではごきげんよう。
皆さんにハッピー&ヘブンリーエナジーを贈ります。
心より愛と感謝をこめて‥。
LOVE & KISS & HUG チュッ KYOKO