今日は

関興寺①

かんこうじ。

 

アクセスは

JR上越線「石打」駅より車で3分。

関越自動車道「塩沢石打IC」車で7分。

※写真は6月上旬撮影

 

 

関興寺(かんこうじ)

新潟県南魚沼市上野267

関興寺総門の写真

 

 

臨済宗の寺院で

ご本尊は

釈迦牟尼仏。

 

総門には

「関興寺の味噌なめたか」

と大きく書かれてあります。

 

 

 

案内板

関興寺案内板の写真

 

 

案内板によると

 

1410年

上杉憲顕の子

覚翁祖伝(かくおうそうでん)

開基し

 

関興庵

と称したのが

はじまり。

 

 

 

三門

関興寺山門の写真

 

 

その後

1512年

兵火に遭い

伽藍焼失。

翌年再建。

 

1578年

御館(おたて)の乱により

焼失。

 

1586年

上杉景勝公により

再建。

 

 

 

境内①

関興寺境内の写真

 

 

1594年

戦火に巻き込まれ

 

1600年

上杉景勝公が

米沢に移封する際

米沢に移転。

 

1629年

4度目の火災に

遭ったことを機に

 

寛文年間

(1661年~1673年)に

 

現在地に戻り

再興。

 

1751年

関興寺と改称。

 

 

 

白崖池(びゃくがいいけ)

関興寺白崖池の写真

 

 

1578年

上杉謙信の没後

景勝・景虎二子による

 

家督相続争い

(御館の乱)では

 

景勝公と

縁が深かった

関興寺は

 

景虎方の

小田原北条軍に

包囲され

 

逃げ込んだ兵を

引き渡すように

命じられたが

 

時の住職

雨天是鑑和尚は

拒否したため

 

 

 

境内②

関興寺境内の写真

 

 

小田原北条軍の

焼き討ちにあい

 

総門・三門・仏殿・法堂・方丈・禅堂・塔頭

7ヶ寺に及ぶ

大伽藍を焼失。

 

 

 

本堂

関興寺本堂の写真

 

 

その際

雨天是鑑和尚は

 

修行僧に

上杉謙信公寄進の

大般若経典600巻を

 

味噌桶の中に

埋めるように命じ

 

火災から

経典を守った

といわれています。

 

もともと

関興寺では

禅寺の生活に

味噌は欠かせないと

 

修行僧のために

たくさんの味噌を作り

蓄えていたそう。

 

 

 

臥龍(がりゅう)の庭

関興寺臥龍の庭の写真

 

 

すると

近在の人々の間で

 

関興寺の味噌は

大切な経典を守った

有難い味噌。

 

ましてや

その味噌の中に

600巻もの経典が

埋められたならば

 

さぞかし

関興寺の味噌には

経典のご利益・功徳が

あるに違いない。

 

その味噌を

分けて下さい

 

と参拝する者が

あとを

絶たなかったそう。

 

 

 

境内③

関興寺境内の写真

 

 

以来

この味噌を

いただくものは

 

大般若経典の

ご利益にあずかり

 

福徳を

授かることができる

とされ

 

関興寺に

参拝したならば

お味噌を

頂かなければ

 

何のために

お参りしたか

甲斐がない

と言われるようになり

 

 

 

境内④

関興寺境内の写真

 

 

関興寺に

お参りして

有難い味噌を

頂きましたか?

 

の問いかけの

言葉として

 

「味噌なめたか」

という言葉が

生まれたそう。

 

→【新潟】関興寺②(味噌なめたか)

へ続きます。

 

 

 

手水舎

関興寺手水舎の写真

 

 

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