【手紙編】私は世界一お母さんが嫌いでした。~小さなわたしの言えなかった想い~ | かのんのおと。

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ママへ。

 

この手紙は出すつもりはありませんでした。

私という「今世での存在の最後の心の傷」として、記録を残すだけにしようと思っていました。

 

取りあえず私にとって私がどういう存在なのかをただ知らせたくてこの手紙を書きました。

あなたがどう思うかは私は知りませんし、返信は要りません。

 

 

きっと私の思ったような答えは貰えないだろうし、母という存在のその言葉に傷つくだけだろうから。

わたしはこの地球上に産まれたすべての生きとし生けるものたちを愛しています。

それはあなたもその中の一つで同じです。

何故ならば地球自体をとても大事に慈しむ心がわたしの中にはあるからです。

 

私は元々の素養として人を憎むということをやらないと決めてきている魂です。

私は他人から何をされてもそうします。

今までもそうでしたし、これからもそうです。

その感情が欠落してると言ってもいいでしょう。

 

この時点でおそらく理解は出来ないでしょう。

やられたことは悲しかった、怖かった、痛かった、けどそれを誰かに知ってほしいとも思ってはいません。

わたし自身がしっかり受け止めて昇華して行けたら良いと思っていました。

 

ですが、私の心の中では「母という幻影」に怯えながら生きるのはもう辞めたいのでこれを書いている次第です。

これは幼い私の一人昇華試合です。

付き合わなくては良いけど、目だけは通したら良いと思います。

なにか思わなくても結構、恨み節なんてもっと結構、押さえつけや、あなたの感情の押しつけはもう結構。

私もあなたも何を思うおうと間違ってはいないのだから。

 

ただ俯瞰してこの手紙を読んでもらえたら良いと思います。

 

 

ママ、私はあなたがきらいです。

だっていつも私があなたの思うようにならないからと躾と称して殴りました。

頭が痛かったです、頬が痛かったです。

殴られるたびに心が痛くて痛くて仕方ありませんでした。

見えない体がずっとボロボロでとても苦しかった。

見えてる身体に傷はなくても、心や見えない体の表層はボロボロでした。

お腹も幼少期からすぐに下していたし、偏頭痛もずっとあった。

身体は常にSOSを出してくれていたのに、私は無視するしか出来なかった。

 

あなたに抱きしめてもらえなかったことが悲しかった。

ゴメンねと謝って貰えなかったことが悲しかった。

 

感情的に激高するのも、怖くてすると話を一切聞いてもらえなくて悲しかった。

あなたの感情的な主張が理解できなくて苦しかった。

 

私はここに居てはいけない存在なのかとずっと家に居ても「心の居場所」がありませんでした。

私の唯一の居場所は布団の中だけでした。

だから人よりもひたすらよく寝ました。

気付いたら寝ていました。

みえない身体の修繕に時間が掛かったのでしょう。

今でもそうですが、寝てる間だけが唯一私を手放しで生きられる癒しの時間でした。

 

両親の言い争い、喧嘩を小さい頃から見て育つと、反発的になるか、内向的になるかの2択なのかもしれません。

私は内側に溜め込むタイプなので内向的にドンドン育ちました。

 

ある日私は熱を出しました。

小学低学年だったでしょうか。

あの頃までは何かしら夢をみることをしていたように思います。

一度だけ物凄くうなされて、一緒に寝ていたあなたに起こされたことがありました。

 

なんの夢を見たかは言いませんでしたが、唯一ハッキリ覚えている夢です。

サービスエリアみたいな食堂であなたとご飯を食べていたら、父が帰ってきませんでした。

どちらかが居なくなることは私にとっては苦痛でした。

それがあぶり出された夢でした。

珍しく泣いて喚きながら探し回りました。

見つかりませんでした。

 

それが現実でも泣いてうなされていた夢の正体です。

それは小さな私の恐れと願いと色んなものがないまぜになった夢だったのでしょう。

 

その日以降、私は夢を見ることがほぼありません。

上からこの子の精神が耐えられないと思って「目隠し」をされたのかもしれません。

 

 

現世の私はあなたがとても苦手です。

考え方、生き方が未熟だから。

前回帰ったときに、話し合いの末に小さな私は必死に自分の気持ちを吐き出しました。

あなたの本心から私に謝ることが出来ませんでしたね。

言い合いの末に搾り出した答えは「…きらい」

あれは、小さなころの押し殺した私の声でした。

 

そう、私はずっとあなたのその自分勝手な言葉や行動に傷ついてきました。

きっと自覚あるのではないでしょうか?

あなたは恐れから言葉を発することがとても多かったから。

それでも母という存在をなんとか出来ないだろうか、癒すことはできないのかとずっと思って生きてきました。

これはあなたの視点での愛ではもしかしたら、理解が出来ないかもしれません。

でもそれでいいのだと思います。

おそらく次がまだあなたにはあるでしょう。

次の生まれの時、また学んだらいいと思います。

 

 

私自身の傷は辿って行ったら1歳の時からでした。

弟が産まれた時期からではないでしょうか?

父の実家に預けた話で良く父と揉めていましたね。

私が家に戻ってきたら引きつけを良く起こすようになったのはお前(父)のせいだと。

その時の気持ちを引き出してみたらやっぱり「怖い、悲しい、お母さんはどこ?、家のにおいが違う」って言っていました。

父方の実家のにおい好きじゃなかったし、そういうことだと思ってます。

 

弟を殴るのは、当たり前です。

なんで私はただの子どもで居られなかったのか。

誰かの顔色を伺い続けなければならなかったのか、自分の感情に蓋をして自分を押し殺して生きなければならなかったのか。

弟はぬくぬくと母と共にあったのでしょう。

同じように育てたと私に言いましたが、いいえ、1歳経つか経たずに何処かに預ける選択をした時点で同じではありませんよ。

 

 

 

3歳のわたしの記憶。

忘れもしません。

これは私の記憶のほぼ初めに残っている記憶。

誰かから掛かってきた電話。

誰だかすぐに分かりました。

10代の頃にあなたが好きだった人。

 

あなたが泣きながらずっと話していた。

部屋に戻ってなさいと言われて出たような気もするけど。

私はこの時あなたが少女のように見えたのを忘れません。

別にいい悪いではこれはありません。

わたしの見え方なだけです。

その時だけ、あなたは10代に戻っていたのでしょう?

私はそういうの、全部観えてましたよ、言葉に出来ないだけで小さい頃から。

全部分かった上であなたの元で育ちましたよ。

だから恨んではいないのです。

 

あなたの他人に対する自分の機嫌による極端な態度が嫌いなだけで。

 

あなたの生まれからくる孤独も痛いほど感じていたし、あなたの心の痛みも痛いほど知っていたし。

わたしは全部分かった上でママの元に居ましたよ。

あなたから聞いたエピソードは、私の中での答え合わせなだけでした。

痛いことされても、色んな言葉を浴びせられても、それでも今世で縁を分かつ親だと思ってたから。

それだけは忘れないでください。

 

 

物凄く衝撃的だったのが、今年帰ったときに話した時、父も母も殴った回数は数回だけだったと言い放ったことです。

何を言ってんだこいつら?と正直思いました。

これは弟にも聞くと良いと思います。

 

 

私には忘れられない記憶があります。

それは小さい頃から常習的に叩かれて育ったということ、躾という名の母の感情的な怒号を浴びながら育ったということ。

これは私の中での紛れもない事実です。

何故ほんの数回だけで、そんなに手が上がるだけで身体にビクっと防衛反射が出るくらい反応するでしょうか?

何故内気な子供に育ったのでしょうか?

あの頃の記憶のわたしはそれでは誰ですか?

教えてください。

この私の怒りや悲しみは、嘘なんですか?

 

12歳くらいの頃でしょうか。

あなたが手を偶然ふいに挙げた時に私たち姉弟はビクっと身をすぼめました。

殴られる習慣がついている子供たちはこのような状況反射をすること、ご存知でしょうか?

DVとかもそうですよね。

ものの数回だけで、こんな反射は普通は出ません。

これは日常的にあったこと、それは「やられた側」からしか分からないことかもしれません。

 

そして私はあなたのその時の顔を忘れることが出来ません。

自分の手をみてハッとしたその瞬間の顔を今でも忘れません。

そのあとから明らかに殴る回数が減ったのご存知でしょうか?

記憶がないなら思い出せばいいと思います。

あなたが子どもに本当は何をしていたのか。

何故子どもは常習的に殴られている子と同じような反射をしたのか?

説明が出来ますか?

父は家の中のこの事実を知らないのかもしれません。

 

 

今ならもう定説になっていますが、宇宙からくる子は母を選んでやってきます。

これは宇宙の法則です。

私もあなたを選んでやってきました。

 

何故だか分かりますか?

私の前にあなたのお腹に来て二人、この世に産まれられなかった子たちがいるでしょう?

義母に降ろされた子たち。

この子たちは今私と共にあります。

実体があるというよりはエネルギー体の残りのようなもの。

何故ママあなたではなく、同じ子である私と共にあるのか。

 

それは、私がこの子たちもしくは宇宙(神さま)からあなたの元に行くように依頼されたから。

私が選んだというよりは、この悲しみのふちに居る未熟な魂を救うには熟練した魂でないと折れると踏んだのでしょう。

あなたの心が折れないようにサポートとして降りてきました。

 

私は我慢強かったでしょ。叩かれても睨むだけで何もしなかったでしょ。

色んな子供が傷つくような言葉を投げられても泣いて抵抗はしても、反論はしなかったでしょ。

それは全部自分で設定してきたことだとある程度、心の深い奥底で理解していたからです。

それを思い出すのに時間はかかったけど、それでも自分を取り戻すプロセスは諦めなかった。

余りにも自己否定、自己卑下、自己嫌悪、自信喪失が酷くなりすぎていてずっと、ずっと生まれてから自分が誰だか分からなくて不安で死にたかったけど。

それは私の魂からのそれはあなたの本質ではないというサイン。

 

ママあなたは自分の辛い生い立ちを乗り越えられずに自分自身に虚勢を張らないと生きていけない人。

なんで私がこんな目に合わないといけないのか。が強すぎたのでしょう。

「私が言っていること、感覚が全て正しい。」

果たしてそれはあなたの中の真実でしょうか?

私はその考え方に随分と苦しめられました。

「私は悪くない」の考え方が全く理解できない(全ては必然で起こっている出来事だと思っている)ので、わたし自身を何度も何度も自信喪失の沼に陥れました。

それは自分で入った沼でしょ?ってあなたは思うかもしれませんが、私のトリガーを出来事を通じて毎回引いていたのはママあなたです。

 

子どもは親が周りの環境が大事にしてくれるだけで勝手に育ちます。

大事にするとは、

この世界はこの空間は安心して居ていいんだよと背中や態度で見せてくれること。

必要に応じて身体を抱きしめてあげること。

どんな時でも子どもの意思を尊重すること。

子どもの言っていることが何を言いたくて、どんな意味なのかを理解しようとすること。

 

これは決してワガママに育てるということではなく、甘やかして育てることでもありません。

 

産まれた瞬間から「わたし」という個を認識してくれていたか、これに限ると思います。

よくある親子関係の悩みでは必ず親が子を心配して過剰に介入します。

ちゃんと学校に行くか心配、ちゃんとした高校に行けるか心配、ちゃんとした就職や専門や大学に行けるか心配。

これはハッキリ言って余計なお世話で、子供が望むなら引きこもりでもなんでもさせておけばいい。

いつか自分で出てくる日を待てばいい。

私はそう思っています。

それが子どもの生きる力を信じるということではないでしょうか?

「無理やりレールに乗せないと、この子はダメになる。」

これもあなたが言っていた言葉です。

本当にそうだったのでしょうか?

元々まじめな性質です。堕落するだけ堕落したらあとは上がる選択肢しかないんですよ。

何故毎回本人のペースで待ってくれなかったのでしょうか?

本人のペース(諦め)が早かったらもっと早くこんな感情から抜けられたかもしれない。

まぁこれも必然だとは思いますが。

 

 

いつもダラダラして決められない?

それはあなた方の喧嘩ばかり毎日見て、己の本心を押し殺して生き続けた幼少期の私には自分というものがありませんでした。

とにかく人の顔色を伺って、それに見合ったように自信なさげに合わせる。

だから自分の気持ちが分からない、決められないのは当たり前のことではないでしょうか?
 

 

今のこれからの将来にハッキリ言って肩書なんて能書きなんて、要らないんです。

私という存在がちゃんと自分自身で認識さえできていたら何一つ心配することも無い。

そもそもこの世は精神が映し出すかりそめの世界。

マインドがしっかりしてさえすれば、なんだって生きていけるのです。

これからはより、そういう世の中になっていきます。

 

あなたは私が感じている未来の話をすると怒りますね。

3月に帰った時も激怒しました。

何故ですか?

不安だからですか?

これからの時代が変わり、私も「母から育てられた子供の頃の私」じゃない選択をしました。

それは私の魂に基づいた選択です。

不自由からの脱却。

これはインド占星術のダシャーでも私の計画として出ています。

全ては私の計画通り、なのは知っているのです。

 

 

ある日のテレビを見ていての話。

五体不満足な人の話の特集をやっていた番組をみてて中学の頃だろうか?私に何と言いました?

 

「見てみなさい、お前は身体が五体満足なんだから幸せだと思いなさい」

 

私はこの時、違和感と???だらけだったのを今でも覚えています。

私はこの人はなんて傲慢なんだろうと思いました。

それって身体のどこかを失って生まれた人、人生の途中で失ってしまった人が可哀そうだと思っているからですよね?

それってその人に失礼です。

この肉体すら自分で産まれて選んできているのに、それを他人がどうこう言うべきではないと私は思っています。

何故哀れまないといけないのですか?

その方たちは憐れんでほしくて生まれてきていませんよ。

 

そもそも誰か病気の人と比べて話をするのが得意でしたね。

それって意味ありましたか?

私には私の選択がある、あなたにはあなたの選択がある。

それだけの話です。

 

 

あ、あとあの本当時20代の私に送ってよこした本。

「置かれた場所で咲きなさい」でしたっけ。

ごめん、胡散臭すぎて読めませんでした。

そもそも書かれたあの方、留学とかしてて恵まれた環境の方でしたね。

こんなタイトルみて少しでもそうなのかな?って思いましたがものすごく違和感だらけでした。

なんで耐えて居る必要があるのか、私にはちっとも理解が出来ませんでした。

 

今はもう「自分の置き場所くらい自分で決めなさい」の時代です。

自分で選んだ、好きな場所で咲いて良いんですよ。

 

 

 

犬の話をしよう。

私がとても傷ついた話。

ジョンを処分するしないの話の時、私は薄々これは「いのちの取引」だと感覚で分かっていました。

知り合いに引き取ってもらう体で話していましたが何かがおかしいのを子供心に私は肌身で感じました。

もともとそういう直感の働く子どもでしたからね。

 

私の本心は「分からない、選べない」でしたが、父の様子をみて何かがおかしいと思ったので「ジョンはこのまま置いておく」と言ってしまいました。

 

これはハッキリ言います。

私の自身の優しさからでた発言でした。

ジョンのせいでストレスで血尿が出たというあなたはとても激高した。

「私(母)の身体がどうなってもいいのか!?」「このひとでなし!!」

ことが終わっても私をあなたは何度もこのことで責めました。

 

私は人の気持ちが分からない冷たい人間だったんだ。を植え付けられた瞬間でした。

自分の本来持っていた優しい気持ちにそっと蓋をした瞬間でした。

 

どうしてその選択をしたのか聞いてほしかった。

本当はどう思っていたのかを聞いてほしかった。

いつもそうだけど、私にはどうしたいのか?とか何を思っているのか?を尋ねたことありますか?

私には記憶にありません。

私はずっと待っていました。

あなたはどう思ってこういう行動をしたの?ってちゃんと聞いてもらえる日を。

そんな日は、残念ながら来ませんでした。

 

このような体験のお陰で、私は人の話をよく聴く人になりました。

この人は本心ではどう思っているのかを観る人になりました。

本当の寄り添いとはこのようなことだと私は思います。

 

 

お土産の話もしよう。

ずっと思ってたけど、弟のお土産は美味しい美味しいと褒め散らかすのになぜ私のお土産は見て「なんでこんなもの買ってきた!!」と毎回叱られていなければいけなかったのでしょうか?

小中高全てにおいてです。

そして5年前のわざわざ並んでまで買って入手した芦屋の有名パティスリーのクッキーすら甘すぎるといちゃもんを付ける始末。

 

あれ、なんなんですか?

本気で意味が分かりません。

どれだけ子ども心に傷ついたと思ってます?

否定されたって思われてもおかしくない行動です。

現に私は否定されて、私が思って買っていくお土産は誰も喜んでくれないという固定概念が出来上がり、自分自身で選択する自信が更になくなっていきました。

 

 

 

「なんでこうなるなら知ってたら教えてくれなかったのか。」

一時期、霊感のある占い師さんに観てもらってた後に父方の金銭トラブルでボソリと言っていた言葉。

私は忘れません。

それはあなたが自分で起きた出来事を受け入れていくという試練だったから。

おそらく聞かれたらそう答えると思います。

こちらで見聞きして知っていたとしても教えなくていいことがあるのを物事を正観できる人たちは知っています。

私は、どちらかというと最初からそちら側の人間です。

世界を観る側の人間。

元々その素質は言われていたはずです。

(スピリチュアル、宗教に傾倒しやすいというありきたりな言葉だけではなかったはずです。もしありきたりなことしか読めてなかったのなら、その方の実力はそれまでだと思います。)

 

 

 

因みにあなた方と私、父も母も弟も過去世的に魂的な繋がりは一切ありません。

普通の定説なら家族的なカルマがあるので誰かしらと縁があったりしますが、私にはそれがありませんでした。

当時ならほぼ特殊ケースです。

今ならカルマも解消されてる前提なので若い魂が降りてきているので、十分にあり得る話ですが。

 

いつも何処に居ても私の中で疎外感が拭えなかったのは、それのせいでしょう。

 

何故なら、あなた方は皆若い魂だから。

地球での経験が少ないんです。

だから私との縁もない。

私には他の人との縁があるので、ここから全く違う人生があるんです。

地球にどうしても最後にやりたいことがあって来たんです。

だから、私の過去の悲しい痛いわたしと一旦ちゃんとお別れをしようと思います。

そのためにこの手紙を書いています。

 

私が普通の認識です。

そして、これに関しては紛れもない私の中の真実です。

 

こんなこと言われて、私の頭がおかしくなったと思うでしょう?

でも小さい頃も同じように思ったこと、もしかしたらありませんか?

何処かこの子は普通の子とは違うように思う、そんな風に思ったからこそ「普通の子」になるように育てようとしたのではないですか?

時代も時代でした。

田舎でしたし、人の目も気になったのでしょう。

仕方なかった環境だった。

それでも私は普通の範疇には収まりませんでしたよね。

小さな箱に縮こまって入れられて、すごく窮屈な幼少期でした。

 

 

紆余曲折あったとしても結果として、言われたように高校に行き、社会保険完備の正社員にこだわって生きてきました。

それはとにかく親を安心させなくてはという私の優しさからでした。

 

それは私の本当のしたいこと、考えていること、感じていることとは180度違うことでした。

色々人間関係であって辛くてしんどくても会社に行きました。

心がドンドン疲弊しても通勤して、毎日必死に生きました。

2011年の震災で自分の死生観に気付いて、スピリチュアルな探求をするうちに気付いたら自分の本質とのギャップ(葛藤)がたくさんあることが分かりました。

それは今世で身に着けてしまった自分を守るための鎧でした。

自分の本心と向き合うために私は10年近く自分を知る旅をしました。

沢山の人に自分の姿を見てもらい、言葉(ヒント)を貰い自分自身の自信をすこし、少しずつ取り戻していきました。

 

 

母子という愛情関係がある前提の呪縛から私はもう卒業します。

だって今私は自分らしく自分が好きでいられています、やっとこの感覚です。

私の人生の再スタートです。

好きなモノが何かも知ってるし、どんなことが嫌なことかも知っています。

今が一番私らしく生きられていて私は十分幸せです。

 

 

 

この前見た言葉で私たちの関係性にまさに当てはまってると思った言葉を書きます。

 

「子どもが「つらいのに心配してくれない…」と言い、大人(親)は「こんなに心配しているのに」と言うとき、大人が心配しているのは目の前の今・ここにいる子どもではなく、まだここに居ない将来の子どもだったりします。

例えば「辛くて学校に行けない」とき、大人の心配の矛先が「このまま学校に行けないと将来どうなるか」であれば、心配の対象は「まだここにいない将来の子ども」になる。

だから今・ここにいる子は「私は心配されていない…」と感じてしまう。

今・ここにいる子の辛さと懸念を汲まないと、心配は抑圧となる。」

 

父も母も、なにか思い当たる節はありませんか?

私にはとてもこの言葉が響きました。

この両者のズレは、親が子から学ぶことのように思いますがどうでしょうか?

あなた方は一生懸命やったつもりかもしれません。

それでもそれは違うと私が言っていた意味が上の言葉で理解できたのではないでしょうか?

 

過去や未来に気持ちを寄せることは不安しか出てこないのです。

何故なら見えない不確定要素の中に手を突っ込むようなものだから。

それがこの世界の本質です。

今ここの喜びに生きること以外に勝ることなんてないのです。

これは宇宙の法則であり、仏教でも言われている「空即是色、色即是空」このままを意味します。

私は実体験を通じて、今の選択は未来から引き寄せた情報を基に選んでいることを知っています。

 

 

つい最近の小さな私はある日ハッキリと私にこう言いました。

「わたしをちゃんと見て、わたしはここに居るよ」と。

私は訳も分からず泣き出しました。

 

現世での長年のわたしの苦しみの全ては、この言葉に詰まっていたのです。

小さな私は、「今ここ」の私をちゃんと見てほしかった。

今ここにいるわたしを愛してほしかった。

今ここに居るわたしを抱きしめてほしかった。

立派に育てなくたっていいから、ただ温かく見守っててほしかった。

最初から私の中ではあなた方の心配した学歴や資格なんてどうでもよくて、ただのわたしをここに居ても大丈夫だよと、どんな人になろうともどんな形になろうとも大丈夫だよと安心させて欲しかっただけ。

 

個人事業主になった時の説明も、私が上手く説明できなかったけど、本当は「もし失敗したらいつでも帰っておいで」とただそれだけを言って欲しかっただけです。

お金が欲しくて言ったわけではないことを理解して貰えたら幸いです。

年子の弟には1年自宅浪人、専門学校などのたくさんお金をかけて、私は空気を読んでたった18歳で一人で上京して自立の道を歩みました。

自分で4年間、お金を貯めて専門学校に行き2年間、一日も休まずに毎日バイトに明け暮れていた日々でした。

私だって学生になった時くらい支援が欲しかったけど一言も我慢して言いませんでした。

学費を払うたびに大きな金額が減っていく感覚、今でも忘れません。

歯科矯正も自分で払って、トータル300~400万近くを貯めて全てそこにつぎ込んでいます。

それは自分の選択ではあったけれど、あなた方の「安定した娘」という望みを叶えるために必死だった私が居たことを忘れないでください。

 

私の望みはこの家庭では残念ながら叶いませんでしたが、これから私はそれをちゃんと理解して前を見据えて生きています。

 

私という気難しい個体を育ててくださってありがとうございました。

おかげさまで、私は人一倍人の気持ちに機敏な人間になれました。

寄り添うということが実体験を通じてどういうことが理解が出来ました。

人の尊厳とはどういうことかを身をもって理解しました。

 

そして、わたし自身が私をいかに愛することが、大切なのかを身をもって知りました。

自分の聲にいかに耳を傾けて、本心を魂の声を聴いていくことの大切さを知りました。

 

それがこの家族での私の学びでした。

もう後ろは振り返らないでしょう。

痛みはここから消え去り、私は呼吸がよりしやすくなる。

 

私はもっとこれから新しいわたしと出会い、成長していくでしょう。

最近、色んな事が本当に楽しめるようになってきました。

自信も少しずつ積み上げてこれたように思います。

それは私が自分自身を掘り下げていった結果です。

 

いま、私はわたしの一番の理解者です。

安心は自分自身で作り出すモノ。

私は今、「今日の私」が一番大好きです。