皆さんは、御神木や森に生えている樹に触れる時どんな気持ちで触れていますか?
私は気になった子にはしょっちゅう触っています。
よくスピリチュアルだと、
◉御神木の発するエネルギーを感じてエネルギー貰いましょう。
大木は長年生きているのでエネルギーが高いです。
みたいな発信が多いように思います。
そして皆がご利益とあやかって触ってツルツルに禿げてしまった表面。(某大神宮の御神木とか)
私はそれは違うと思ったので、ここに思ったことを書き残しておきます。
私が触れる時、よく自然に掛けていた言葉がありました。
「今なんしゃい(何歳)?」
おそらく、これが私の全てでしょう。
私は目の前にある樹がどんな風に生きて何を思っているのか、何歳なのか知りたいのです。
そしてどんなエネルギーを持っていて何をして欲しいのかを知りたいから触る。
こんな意図で触っています。
私は見えも聞こえもしません。
もちろん、会話もできません。
だけど必要なことは無意識に今までもしてきました。
先日、とある森に呼ばれました。
とある地域に行く予定があったので、ついでにその周辺の寺社何処か行こうかなー?と思ったら、ハッキリそこの森の姿がイメージ出来たのです。
こちらで誰か呼んでらっしゃるようだ。取り敢えず行こう。くらいに認識していたら、偶然話した友人からメッセージを貰いました。
「私たちを癒して欲しい、エネルギーが足りていないの。」と泣いていると。
それを聞いてとても悲しくなったのと、人々の気軽なパワースポット巡りとやらに少し憤りを感じました。
確かにそこまで大きな場所ではありませんが、観光地でたくさんの人が訪れるでしょう。
この子たちや土地の森のエネルギーを枯渇させているのは一体、誰なんでしょうか?
おそらく神社に訪れる人々でしょう。
森は動かないのですから。
はっきり言って人として生きているモノたちに対する接し方、間違えていると私は思います。
皆さんはどうでしょう?
ご利益と称して、御神木の高いエネルギー貰って自分だけ気持ち良くなって、楽しいですか?
感謝の気持ちで触れていますか?
樹の気持ち、考えたことありますか?
特に「感謝の気持ち」は愛に基づく気持ちなので、とても大切です。
私はいつも触らせてくれてありがとうで終わりにしてます。
今回はしっかり土地をヒーリングしてきました。
呼んでいたであろう子も見つけました。
私を呼んでくれて、ありがとう。と伝えしっかりエネルギーを渡してきました。
人間がこんな風にしてしまって申し訳なくて、目の前で泣いてきました。
見た目は、枯れてはいない立派な樹です。
だけどエネルギーが足りないと泣いている。
今現在、風の時代、心の時代、2の時代と呼ばれる世の中に移行しています。
愛に基づく時代です。
人間には愛を持って、行動するように更に求められていくでしょう。
皆さん試されていますよ。
心に愛を持てない、持つ気がないなら時代に置いていかれるでしょう。
愛があれば、どう行動するのが良いのかきっとわかる筈ですから。