学習性無力感 | しあわせな自分から あの時頑張っていた自分へ

しあわせな自分から あの時頑張っていた自分へ

沢山頑張っていたこともわからずに
頑張りすぎていた自分を愛おしく思う
今そんなしあわせな自分

だからこそあの時頑張っていた自分を愛して
癒して生きたい

しあわせな自分より
木花 にこり



こんにちは、人生療法士の木花にこり(このはなにこり)です


皆さんは『学習性無力感』という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか


平たく言うと

人は繰り返し、または長期にわたりストレスにさせされていると

その状況から逃れようとすらしなくなる

ということをさします



軽めの例で言うと

『どうせムリ』

というやつです


ビジネスなんかで2,3回上司に提案が否定されたことがあると

『あの人になに言っても無駄だ』

という考えに陥り2度と提案をしなくなるというのがこれにあたります


無気力を学習してしまうのです



ここから少し重い話になるのでご注意下さい

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重い話で例えるなら

強烈なDV被害にあっている人が最初は抵抗していたとしても

そのうちその相手から逃げようとしないようになることもそれと言えます


周囲に『~すればいい』と正常な判断と思われるアドバイスを言われても

そうは思えなくなっているため逆にストレスになってしまう事になりかねません


簡単に解決できることもそうは思えなくなってくる

正常な判断が出来なくなってしまうんですね


個人的な経験でいうと、モラルハラスメントの人とお付き合いしたのは唯一元婚約者だけでした

(3年ほど面倒をみた精神疾患の方は別として)

私は元々の家族がモラハラ体質で、それがイヤだったので自分の部屋と世界に引きこもっていました

だからそんなのはイヤだと思っていたし、穏やかな人とお付き合いしていました

なのに婚約者でそれを引き当てるあたりがやはりインナーチャイルドを抱えている所以です


元婚約者は最初は素晴らしい方で、一番初めに何かが原因で大声をだしてキレてしまった時には何かふざけているのかと思って笑った程です。

そして数時間後には平謝りされます。

これがあるので

 『いつか正常なあの優しい人に戻ってくれるんじゃないか』

という期待を持つわけです。


そのうち定期的に繰り返すようになり、そしてその妄想的な内容もどんどんとエスカレートし、その頃にはすっかりこの無力感を学習してしまっていました


最終的には日々そんな状態になり、どっぷりと恐怖に支配されていたため

 『逃げ出す』ことより

 『どうしたらキレないか』

ということにフォーカスして一緒に居続けました


最初から過激なモラハラをされていればすぐさま目の前から居なくなっていたと思いますが、徐々に学んで行ってしまったわけです



DV被害者はよく

『自分にも悪いところがあるんじゃないか』

なんて感じている場合が多くあります


でもね

どんな理由であれ暴力は決して許されません


『愛情』だから

『親子』だから

『夫婦』だから

そんなの全然関係ありません


なかなか被害者本人から発信することができないのがDV問題です

もし周囲の人が気がついたならまずはお話を聞いてあげてください


大変だったね、と、ただ話をきいてあげてください

そしてどうしたいのか本人の意思を確かめて下さい


もし命の危険があるように感じれば、よその家の問題だからと躊躇せずに警察へ通報するように説得して下さい

秘密は守ってもらえるし、慎重に対応してもらえることを伝えて下さい


DVは加害者もかなりのトラウマを抱えています

暴力が愛だとねじれて捉えている方も少なくありません

愛を知らないとそれを示すすべがわからないのです



全ての人が心のトラウマを解消できる世の中がきますように




『同じように,霊もまたわたしたちの弱さのために助けに加わります。祈るべきときに何を祈り求めればよいのかをわたしたちは知りませんが,霊そのものがことばとならないうめきと共にわたしたちのために願い出てくれるからです。それでも,心を探る方は,霊の意味するところが何かを知っておられます。それは神にしたがいつつ聖なる者たちのために願い出ているからです。』

ローマ人への手紙 8章26,27節 より



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