慶応義塾大学に行った時、
三田キャンパス正門と道路一本隔てたところにある
慶應義塾大学アート・センター(KUAC)に寄った。
この建物は藝術分野におけるさまざな研究を行っている
国内有数の施設である。
今回の展覧会では、アート・ア―カイブ資料展XXV
歌舞伎雑誌『役者』の関連資料である
「田邊コレクション」「歌舞伎への情熱」
A Passion for Kabuki:The Tanabe Collection of the Magazine Yakusha
が展示されていた。
「田邊コレクション」とはこの雑誌『役者』の発行者であった
田邊光郎氏(慶応義塾OB)ご遺族から
当センターに寄贈された資料である。
戦後、歌舞伎は、GHQによる占領政策が始まると、
一時は歌舞伎の存続自体が危ぶまれたことがある。
仇討物を中心に多くの演目が“封建的な思想を煽る作品”とされ、
民主化の妨げになるという理由で上演できなくなった。
占領軍内の理解者の尽力もあり、
昭和21(1946)年10月『一谷嫩軍記 熊谷陣屋』
(東劇)の上演許可をきっかけに上演不可演目の解禁が始まり、
歌舞伎は危機を脱した。
当時の歌舞伎雑誌『役者』は、終戦直後2年ほどの間に
発行されたものである。
狭い約45㎡の展示室には、往時の雑誌の内容が展示されていた。
戦後の物資の乏しい時代だから紙質が悪かった。
この小冊子は無料で配布されるようになっていた。太っ腹
この冊子の中でこの画像が目をひいた。
市川海老蔵の切られ与三
程なくして、第11代市川團十郎となる。
当時の市川團十郎って、どんな人?
展示場内を出たら、
当時の雑誌をスキャンしたファイルが置いてあった。
その内容の一部。
売り上げは黒字ではあったが、
最後は経済的な理由で廃刊になった。
しかし、物資の乏しい困難な時代に歌舞伎に向けられた
往時の歌舞伎への情熱と高い意欲が感じられた。
さて、私が歌舞伎に興味を持ったのは、アメリカ旅行で、
高級日本食レストランで見た歌舞伎絵からだった。
それから、2014年から主に歌舞伎座や新橋演舞場だったが、
毎年2,3回観に行ってきた。
コロナ渦中は行かなくなった。
内容はともかくとして、外国人には
派手な衣装とお化粧などが目を引くエンタメではある。
今後は、時代の趨勢で、
これまでの歌舞伎の仕組み(門閥制度や世襲制など)
オーディションを取り入れるなど
改革すべき余地がありそうである。